史跡・下野谷遺跡 竪穴住居復元見学会に70人

発掘調査が早かった方の竪穴住居。屋根は土をかぶせる前に防水シートを張った状態

屋根に芝生を張り、復元工事が進んだ竪穴住居。1家族の住居とみられるという

 西東京市東伏見の史跡下野谷(したのや)遺跡で行われている竪穴住居の復元工事見学会が2月19日にあり、約70人が参加した。

 

 下野谷遺跡は、石神井川の南側の高台に縄文時代中期(5千年~4千年前)の大集落が二つあり、特に西集落は都市部に全域が保存されている貴重な遺跡として2015年に国史跡となった。

 

 市は21、22年度で遺跡区域の本格的な整備を進め、昨年度は木造のトイレ棟、遺跡周辺を含む航空写真を焼き込んだ陶板を設置。通路・広場をタイル舗装し、縄文時代の集落や暮らし、文化などを解説する看板も設けた。

 

 今年度は竪穴住居2基の復元と大量に土器が出土した地点の野外展示が整備事業の中心で、事業費は約1億円。施工業者は復元工事の進捗(しんちょく)率はこの日で85%と話した。

 

 竪穴住居は2基とも内部に入れなかったが、発掘調査の結果に忠実に同じ位置に同じ規模で復元しているという。

 

 外見の違いは、1基は屋根が防水シートで覆われ、もう1基はその上に土をかけ、さらに芝生を張りかけてあったことだ。最近の研究で竪穴住居の屋根はクリの樹皮の上に「土ぶき」とわかってきたという。

 

 柱やはりの部材は昔と同じようにクリの木を使った。クリは食料としてだけでなく、堅くて丈夫な半面、時期によって石おので切りやすいことが説明された。クリの木の特性を知る縄文人は5月から7、8月にかけて住居を作ったのではないか、とも。

 

 市によると、住居の中に入れる時期は今年秋になる見通しだ。今後はキハダなどの樹木のほか畑で大豆や小豆、エゴマなども植えて当時の食料を再現するなどして「したのやムラ」の景観だけでなく、知識や考え方まで想像できるようにしたいとしている。