縄文遺跡へミステリーツアー 「下野谷」の今後を考える

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 西東京市教育委員会主催の「遺跡ミステリーツアー&ワークショップ」が819日、市内東伏見の下野谷(したのや)遺跡公園を起点に行われた=写真は埼玉県富士見市水子貝塚公園。

 下野谷遺跡は縄文時代中期(約5千~4千年前)の大集落で、2年前に国の史跡に指定された。

 ツアーは近隣自治体にある縄文遺跡を巡ることで、西東京市の宝物をどう生かしていくかを市民に考えてもらおうと初めて企画された。「お盆休みと重なった」(市教委)ためか、参加者は5人だった。

 市のバスが田無庁舎と保谷庁舎で参加者を乗せ、下野谷遺跡公園へ。文化財係の学芸員、亀田直美さんから集落の規模や暮らしぶりなどを聞いた後、今年導入したタブレット端末で縄文人の仮想現実(VR)を見た。

 VRは川、ムラ、森、空の4つのコンテンツからなり、台地下の石神井川を上ってきた丸木舟を家族が迎える光景や、ジャンプすると鳥のように上空から集落全体を眺めたりすることができる。縄文の森では主食のクリや衣服の原料の繊維を取るカラムシなどの植物を見た。

 ミステリーバスが最初に着いたのは埼玉県富士見市水子貝塚。下野谷よりも古い縄文前期(約6千~5500年前)の集落跡で、やはり国の史跡に指定されている。

 当時は海が内陸部まで入り込み、シジミを中心とする貝や魚に恵まれ、建て替えた住居跡に貝殻が捨てられた。水子貝塚公園はこうして作られた貝塚の場所がわかるように表示され、竪穴住居も5棟を復元。直径約100メートルの公園の周囲は縄文時代と同じ樹種が取り囲んで茂り、現代の建物を隠している。

 公園の一角にある展示館に入ると、住居跡の発掘により貝層に埋葬されていた人骨が見つかった状況が再現され、貝塚の断面をはぎ取った実物も見られる。公園で、展示館で、館長が丁寧に説明してくれた。

 貝塚公園で弁当を食べ、次に訪れたのは東村山市の東村山ふるさと歴史館。通史的な展示物を一通り見てから、東京都が史跡に指定する下宅部(しもやけべ)遺跡に行き、亀田さんの解説を聞きながら、最重要地点を埋蔵保存する遺跡広場「はっけんのもり」を歩いた。

 ここは縄文後期から晩期(約4千~2300年前)と古墳時代から中世にかけての低湿地遺跡。縄文時代の後・晩期に作られた漆塗りの弓などの木製品や土器などの遺物が多く出土しており、これらを収蔵・展示する「八国山たいけんの里」では、特別にケースのガラスカバーを開けてもらい、じかに漆の色を見ることができた。

 最後の西東京市郷土資料室(西原総合教育施設内)では下野谷遺跡から出土した石器や土器、奈良時代から明治時代までの歴史をたどるジオラマなど5つの展示室を見て回った。

 参加者たちはこの後、ツアーを振り返り、印象に残ったことや下野谷遺跡について「遺跡に近い所に展示施設が必要」「若い人向けに情報発信を」「ガイドなどのボランティアを育てる」などと意見を述べた。(下の写真は左から下野谷遺跡公園でのRV体験、東村山市の「八国山たいけんの里」に展示されている弓などの漆塗り木製品)
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