竪穴住居内部を公開 縄文中期の遺跡で復元 

週に1~2日、内部が見学できる下野谷遺跡公園の竪穴住居

復元された竪穴住居の外観。出入口は南向き、屋根は土ぶき

 西東京市教育委員会は5月5日、国史跡の下野谷(したのや)遺跡(東伏見6丁目)に復元した2基の竪穴住居の内部の一般公開を始めた。当面は週1~2回の公開とする。

 

 下野谷遺跡は縄文時代中期(約5千~4千年前)の集落跡としては南関東最大級とされる。昨年度の整備事業で屋根が「土ぶき」の竪穴住居が完成し、縄文遺跡「したのやムラ」が見た目でわかる景観となった。

 

 竪穴住居は見つかった土器から約300年の時間差があるとされ、内部の直径が約5.5メートルのものが古く、これよりやや小さく入り口が張り出している方が新しい。

 

 2基とも実際の遺構の真上に、発掘調査と同じ穴の位置に縄文時代と同じクリの木の柱を立て、屋根にもできるだけクリの樹皮を使ったという。

 

 半地下の床の中央にある炉は、古い住居では土器が埋められていたが、新しい方では浅い掘り込みだけが残されていたという。古い住居では糸を編んで作った布が柱と壁の間に敷き詰められている。

 

 世界遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」のうち環状列石遺跡のある北秋田市から訪れた母娘は、布の上に座ったり横になったりして「こんなに楽なものが縄文時代にあったなんて」と驚いていた。

 

 親子のほか夫婦の姿も多く、「天井が高い」「意外と涼しい」などの感想が聞かれた。

 

 市教委は遺跡の整備地内に畑を作り、大豆や小豆の原種、エゴマなどの栽培にも乗り出し、したのやムラの暮らしを広く知ってもらう考えだ。現在の下野谷遺跡公園に代わるような集落の愛称も今月いっぱい募集している。

 

 内部公開の次回は5月12日で、午前10時~午後4時30分。6月まで公開日が決まっており、愛称募集の詳細とともに市のホームページから下野谷遺跡のサイトへ。