釧路湿原ノロッコ号でドタバタ劇 6月17日(土)3の1

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蛇行して湿原をゆっくりと流れる釧路川ノロッコ号が速度を落とす


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復路・釧路行きのノロッコ号の車内


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列車に飛び込んできたエゾハルゼミ。まもなく飛んで逃げた

 

 北海道で勤務していたころ、釧路湿原を展望台から何度か眺めたが、湿原のそばを走るノロッコ号に乗ったことはない。

 

 インターネットなどでノロッコ号の情報を集め、1カ月前に旅行先のJR奈良駅みどりの窓口で釧路―塘路(とうろ)往復の乗車券と指定席券を買い、万全を期していた…はずだった。

 

 乗車日の前夜、ホテルの部屋で懸命に切符を探したが、ない。ノートに挟んだはず、いや地図だったかな。フェリーの中でバッグを開けた時、落としたかも。結局見つからず、翌朝、早めに釧路駅に行くことにして寝た。

 

 釧路駅で事情を話すと、再度乗車券を買ってもらい、紛失した券が出てきたら、今日発券したものと一緒に自宅近くのみどりの窓口に持っていけば払い戻しを受けられると言う。席は事前に買っていた指定席とならない。そこはすでに「売約済み」だからだ。

 

 ノロッコ号は自由席1両、展望車(指定席)3両の編成で、当日の行きの自由席乗車券は売り切れの掲示が出ていたが、事情を察してか発券してくれた。帰りの指定席券と合わせて1600円の余分な出費。改札開始の時刻を聞き、切符を手にして、いったんホテルに戻った。

 

 この時期、塘路行きのノロッコ号は11時6分発の1本だけ。自由席は混み合うだろうし、湿原側の窓側なら競争率が高いのは必至。改札前に並ぼうと10時すぎにホテルを出た。バイクは、ノロッコ号で戻るまでホテルの駐輪場に置いたままでよいという。改札は発車時刻より30分余り早く始まったが、私の前には3,4人しかおらず、「努力が報われた」とひと安心。

 

 列車の入線を待っていると、向かいのホームに漫画「ルパン三世」のキャラクターをラッピングした1両のディーゼルカーが到着した。作者のモンキー・パンチ氏が浜中町の出身で、町おこしのプロジェクトの一つ。根室―釧路間(JR花咲線)の普通列車で、「撮り鉄」らしい男性が到着ホームでカメラを向けていた。

 

 ノロッコ号は定刻通り、釧路駅を出発。あらためて車内を見ると、乗車率は50%ほど。まだ観光シーズン本番ではないのかもしれない。中国人の客が目立つ。

 

 車内ではNPO法人釧路湿原やちの会の女性ガイドが沿線案内のチラシを配り、車窓の景色を説明。「中国語向導(ガイド)」のスタッフジャンバーを着た別の女性は、顔部分をくり抜いた額縁を持って乗車記念の撮影サービスをしていた。

 

 塘路までの停車駅は三つ。一つ目の東釧路駅を過ぎると湿原らしい風景が続き、釧路川と新釧路川の分岐点にある新旧の岩保木(いわぼっき)水門を紹介する車内アナウンスが流れる。双子の塔のように見えるのが新水門。

 

 釧路湿原駅に停車するとエゾハルゼミの合唱とウグイスの鳴き声が開け放った窓から飛び込んできた。東京よりも遅く、ここは春が真っ盛り。窓の外には湿地に強いハンノキの林がほとんど切れ間なく続き、細岡駅ではヤナギの綿毛が車内に舞い込む。

 

 細岡駅を出た列車は、釧路川に最も近づいた「見せ場」で、遅いスピードをさらに落とす。終点の塘路駅まで約50分はあっという間に過ぎた。帰りの塘路発は午後零時17分。到着して二十数分しかないため、駅前広場の展望台に立ち、湿原や遠くに阿寒連峰を望んだ。

 

 帰りは塘路―細岡間で川下り中のボート2隻の人たちと手を振り合った。釧路湿原東釧路間ではハルゼミが2回も車内に飛び込んできて、初めて実物を目にすることができた。

 

 帰りのノロッコ号の展望車はすいていた。そのせいで私の指定席は指定席券を持たない家族連れに占められており、隣の空席に腰を下ろした。

 

 車掌が来て、親に「指定のお客さんが来たら移動してください」と言って発券したが、私は家族のよい雰囲気を壊してはまずいと思い、「かまいませんよ」と告げて窓の外の景色に集中した。飛び込んできたセミを父親が手のひらに乗せ、女の子に見せると、彼女は体をよじって怖がった。

 

 列車は定刻に釧路駅に到着。ホテルに戻り、昼食をとらずに午後1時半ごろ、バイクをスタートさせた。目指すは別海町の尾岱沼(おだいとう)だ。

ラワンブキに水害の痕跡 6月16日(金)

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畑から運び込まれたフキを選別、箱詰めする建物


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広大なフキ畑で収穫作業が進む


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観光用のラワンブキ畑は水害に見舞われ立ち入り禁止

 

 足寄で一番の目的は巨大なラワンブキを見ることだ。6月のラワンブキの収穫作業は十勝の風物詩。道内の新聞やテレビで毎年報道される。

 

 足寄町商工会発行の観光マップの表紙は、同町出身の歌手・松山千春さんが、3メートルもあろうかと思われるフキの林立の前で1本を手にしてほほ笑んでいる。

 

 ツーリング出発前に朝日新聞夕刊1面(東京本社版)は「北の味覚 ぐんぐん」の見出しで、ラワンブキの収穫が本格的に始まったことを伝えていた。その写真は、人の背丈を越えるフキの「密林」の中で、作業員が鎌で刈ったもの質を見定めるもので、横2段の扱い。「時期やよし」と胸が高鳴ったのを思い出す。

 

 ところが、宿の女将に聞くと、昨年の大雨被害で「ラワンブキは駄目なはず」と言うではないか。半信半疑の心持ちで6月15日午前9時前、国道241号から道道に入る「螺湾(らわん)」地区を目指した。

 

 30分余り走ると「ラワンブキ圃場(ほじょう)」の看板柱があり、駐車場も備わっていた。圃場に向かうと、掲示板の貼り紙に、昨年8月の相次ぐ台風で流木や土砂をかぶって生育が悪く、見栄えのする背丈になるまで数年かかりそうと記され、自生ブキを保護するため立ち入らないよう求めていた。

 

 なるほど、通路とみられる小さな木橋には木の根や表皮のはがれた枝などが引っ掛かったままで、フキの群落は遠目には膝の高さまであるかどうかの状況だった。

 

 しかし、被害を受けていない地域があるに違いないと思い、螺湾川の上流の上螺湾へと道道を進んだ。牧場をいくつか過ぎると右手にラワンブキの保護区域を示す立て札を見つけ、オートバイを止めて川辺へ下りた。

 

 道路から見るとわからないが、近づくと確かに大人よりも背丈の高いフキがごっそりと生えていた。自生地なのか、栽培用の「畑」なのかは確かめようがなかったが、目的達成の感慨に浸りながらセルフタイマーで記念撮影し、いったん足寄の市街地へ戻ることにした。

 

 来る途中にあった「シオワッカ」という特別な地形の場所と、「あしょろ銀河ホール21」と長い名前の道の駅を見るためだ。

 ◇

 シオワッカは、冷泉に含まれる石灰が堆積してドーム形に成長した奇岩。巨大などら焼きとでも形容したらよいか。季節によって生成される炭酸カルシウム系の鉱物が違うそうで、町の文化財(天然記念物)に指定されている。宿の女将ら町民の何人かに聞いても、存在を知っている人がいなかったのは、ちょっと不思議。

 

 道道から国道に戻ると、あら、道路端に「ラワンブキ販売」の旗が並んでいる。旗を頼りに脇道を進むと、「ラワンブキ畑」と呼ぶにふさわしい大きな栽培地が広がり、四角く刈り取った先に立ちふさがるフキの壁に向かい、男性作業員たちが鎌を振るっていた。

 

 来たっ、ここが新聞に出ていた所だ。ラワンブキだから「螺湾」と思い込んで先を急ぎ、はるか手前にある旗が目に留まらなかった注意不足を嘆いた。ここは市街地に近い「中足寄」地区。新聞記事を読み直すと、現場を「足寄町」としか書いていない。たった3文字の節約。不親切だと腹が立つ。空はカンカン照りになっていた。

 

 刈り取り風景をひとしきり眺めさせてもらい、畑を回り込んで選別・箱詰めの作業小屋を見せてもらった。こちらは女性が多い。70センチに切りそろえて3キロ入りの箱に詰める。単価は1キロ290円。ゆうパックで大量に送るため、郵便局の赤い軽貨物車が待機する。値段などを聞いていると、「社長さんに聞いたら」と言う。そばにいた永井農場の代表・永井研一さんがいろいろな質問に丁寧に答えてくれた。

 

 フキは自然に増えるのではない。フキノトウから種を採り、20センチほどに育った苗を農協から買って植える。植えて2~3年で収穫する。根で成長したものは「二番ブキ」という。苗は町内の農家にしか販売しない。いわば門外不出だ。大きくなる理由は「品種なのかもしれないが、川の水質にもあるのではないかと言われています」。

 

 フキ専業農家は永井さん1人だけ。二十数年前、父の代に30アールから始め、今は5.5ヘクタールに。収穫も除草も手作業に頼らなければならないので人件費がかかり、「経営は楽ではない」という。全町的な作付け規模の拡大はなかなか進まないそうだ。作柄は、昨年の台風や大雨の影響や5月の低温で「大きくならない」と話した。

 

 なじみの居酒屋に送ろうかと考えたが、「調理に手間のかかるものはおことわりよ」と女将が常々口にしているのを思い出し、結局、しょうゆ漬けなどすぐ食べられる数種の加工品の小袋を道の駅の物産館で調達。私はラワンブキの天ぷらと地元の牛乳で昼食とした。

 

 道の駅からは国道を本別まで戻り、北海道横断道(黒松内釧路線)で釧路へ。釧路外環状道路は寒さで身が縮んだ。まだ午後2時すぎなのに、気温は14度と表示されていた。釧路駅の近くのホテルにチェックインし、釧路市民の台所ともいわれる和商市場の中を一回り。タコの卵(タコマンマ)の軍艦巻きにひかれ、場内のすし屋で早い夕食を取った。

 

 この日の走行距離は171キロ。

 

多難なスタート 6月15日(木)

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着岸間近の苫小牧港フェリーふ頭。霧でかすむ

 フェリーは定刻どおり午後2時、苫小牧港に着岸。バイクは乗用車の後に下船。陸上は霧でかすんでいたが、雨は降っていない。

 

 東京から大洗港まで走ったままの、ゴアテックスのジャケットと革のパンツでスタートした。今日の目的地は十勝管内足寄町道央道道東道をひたすら走り、宿に入るだけの計画。

 

 苫小牧から足寄までは約250キロ。午後5時すぎには旅館に着けると見込んでいたが、夕張を過ぎたあたりから霧が濃くなる。断続的に、雨粒がバチバチと体にぶつかるのがわかるほどの雨になり、時速80キロ前後に落とす。そのうち燃料計の目盛りが点滅して、給油を促してきた。

 

 道東道は交通量が少なく、インターチェンジ(IC)やサービスエリア(SA)を知らせる標識はほとんどない。後で調べたところ、給油所となると道東道約200キロ区間のうち、道央道に近い由仁パーキングエリア(PA)1カ所しかないのだ。

 

 気温は14度。雨の山中を走り続けて手のしびれもひどくなった。十勝清水ICで国道38号に下りでガソリンスタンドを探した。残量はほぼ1リットル。高速道を走り続けていればガス欠は必至。危ないところだった。スタンドから宿に電話し、到着が遅れる旨を伝えた。

 

 十勝清水ICに戻り、宿には午後6時15分ごろ着いた。足寄ICを下り、国道を市街地へ向かい、かつてのJR足寄駅跡に建つ道の駅からほど近い所だったので、街の人に1回聞いただけで済んだ。

 

 宿の女将が「ボイラー室があるので、すぐ乾かしましょう」と、濡れたジャケットなどを運んでくれた。まず風呂に入り、食堂で1人分だけ残っていた夕食をいただいた。ハンバーグがメーンの家庭料理。食後にプリン体ゼロの缶酎ハイを1本。生き返った。

 

 この日の走行距離は254キロ。

 

好ましくない予兆 6月14日(水)

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一番安いエコノミーの客室。予想以上に乗客が少ない


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茨木・大洗港で出航を待つカーフェリー「さんふらわーさっぽろ」

 

 北海道ツーリングの実行は前年から公言してきた。しかし、具体的に日程を作り始めたのは4月に入ってから。道南に住む、「オートバイの師」である友人が、無理のない日程や荷物を少なくすることなどを助言してくれた。

 

 前部にタンクバッグ、後部にシートバッグ、その上に防水ドライバッグをネットで固定し、緩みのないことを確認して午後1時、西東京市の自宅をスタートした。

 

 まもなくガソリンを満タンにして外環道・大泉インターチェンジ(IC)から常磐道北関東道と乗り継ぎ、東水戸道の水戸大洗ICで下り、県道2号を大洗フェリーターミナルに向かうというルート設定。午後5時までの乗船手続き(出航は6時30分)には余裕で間に合う。時間を持て余すはずだ。

 

 家から100キロに満たなかったが、常磐道の千代田パーキングエリア(PA)で小休止。気の緩みか、北関東道の分岐点で左レーンに入ってしまい、水戸南ICで下りる羽目に。後は「大洗方面」の標識を頼りに下道を走るが、分岐点に標識がなかったり道が細くなったりしていて何度も不安に襲われる。

 

 それでも4時前にフェリーターミナルに到着。二輪の駐車場には自転車とバイクが1台ずつ。乗船時、バイクは4台になった。

 

 乗船手続きは自動チェックイン機でできるようにQRコードを用意していたのに、やり直してもハネられた。窓口に行くと、60歳以上の人に「プラチナ割引」が適用されるため、年齢確認が必要なためということだった。機械の前でうろたえるのは恥ずかしい。帰りの苫小牧では失敗するまいと思う。

 

 客室は一番安い「エコノミー」。40人余りを収容する部屋に客は10人。寝た時の1人分の横幅は肩幅より少し長い程度だが、両隣がいないので気を使わなくて済む。雑魚寝部屋とあって、女性客はゼロ。

 

 船内放送で船長が「苫小牧の予報は雨」と告げた。いやな予感。旅は緒に就いたばかりなのに、心穏やかならざる出来事が多い。午後10時、消灯。職員が巡回してきてドア横のスイッチを切った。「手動」制御にちょっと驚いた。

 

 この日の走行距離は139キロ。

3年前ですが… 北海道ツーリングを紹介します

 60代最後の20176月、250ccのオートバイで北海道を旅行した。現役時代に勤務した地域の今や見逃した観光スポットを、体力のあるうちに見ておきたかった。

 

 あれから3年もたたないうちに、新型コロナウイルスが猛威をふるい、外出さえままならぬ世の中が来ると誰が想像しただろう。

 

 大型連休初日の今日から、当時まとめた19日間の旅の記録を再編集し、1日1編をブログで紹介します。

 

 

八重の遅咲き桜 見ごろ 西東京いこいの森公園

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八重咲きの桜ハナガサが咲き誇る西東京いこいの森公園

 西東京いこいの森公園で八重の遅咲き桜が見ごろになり、散歩などで訪れた市民の目を楽しませている。

 

 遅咲きの桜が見られるのは公園東側のスケート広場(新型コロナウイルス対策のため休止中)の周辺。中央通路側のハナガサ(花笠)は大型の淡いピンク色の花にほとんど白色の花が混じって満開だ。入り口に近いショウゲツ(松月)は濃いピンク色のつぼみと開いた花がほぼ半々。

 

 スケート広場を挟んで反対側に並ぶカンザン(関山)は、濃いピンク色の花と濃い色の葉が一緒に見られる。

 

 前日までの北風が収まり、気温も5月上旬並みとなった4月15日午後、公園には子ども連れの母親や散歩、ジョギンギングをする老若男女が見られた。

 

 咲き誇る桜の花にスマートフォンを向けたり、幹に巡らせた品種の名札を探して子どもに教えたりする親の姿もあった。

カタクリ見ごろ 幻の白い花も 都内最大級の群生地・瑞穂町

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見ごろが続くカタクリ群生地。観光客は少ない


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幻の白いカタクリ。今年見られる最後の1本

 

 「東京都内随一のカタクリ群生地」とうたう瑞穂町の「さやま花多来里(かたくり)の郷」を4月2日に初めて訪ねた。

 

 新型コロナウイルスの感染が急激に広まり、土日の外出や密集など「3つの『密』」を避けるよう警告されているが、自宅に閉じこもっていると、それはそれで不健康な身体症状を自覚するようになった。

 

 そこで、観光客は少ないであろうと踏んで平日、オートバイでかの地へ向かうことにした。西東京市の自宅から主に新青梅街道を走り、約20キロ。1時間ほどで順調に着いた。

 

 心配だったのは花の咲き具合。町の観光情報サイトは1週間前の「見ごろが続いています」のまま更新されていなかったし、その後の降雪で茎が折れたりしているのではないか、というものだ。

 

 電話で問い合わせれば済むことだが、見る値がないとわかれば、「不要不急」の要件にあたり、不健康を助長する日常に戻ってしまう。半ばダメ元を覚悟しての出発。

 

 すべては杞憂(きゆう)だった。リーフレットにある「3千平方メートルの斜面に20万株」という規模はピンとこないが、薄紫色の花びらを反り返して咲き誇るものは多く、時折吹き付ける冷たい北風に細い茎を揺らして耐えている。

 

 駐車場の管理員に聞くと、開花後に寒い日が多く、見ごろが長続きしているという。降雪は斜面に一緒に生える雑木がひさしの役をして、カタクリへの影響を抑えたようだという。

 

 数万株に1株といわれる「幻の白いカタクリ」を見ることもできた。「今年は白いカタクリが3株見つかりました。今のものが最後の1本」(管理員)。

 

 新型コロナの影響で電車を利用して来る団体客が姿を消し、駐車場の空きを待つ長い車列もなくなったという。この日もぽつりぽつりとマイカーが訪れ、園内で白いカタクリや気に入った色やスタイルの花にカメラを向けていた。

 

 見ごろは今週末から来週初めごろまでという。入園は無料。案内ボランティアの活動は中止した。