函館漁港~新幹線駅 6月21日(水)

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多くのイカ釣り船が停泊する函館漁港。後方は函館山


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北海道新幹線の終点・新函館北斗駅の駅前広場。にぎわいはない

 

 厚沢部町の友人宅を拠点とする道南巡りの初日。SUV(スポーツ用多目的車)のビッグホーンに乗せてもらい、函館へ向かった。

 

 「お土産にも最適」と友人夫婦のイチ押しは金木水産食品のつくだ煮昆布。シイタケ入り、ゴマ入りなど数種類あり、500グラム袋が500円からと割安で味もよいという。函館漁港のそばにある工場直売で、函館に出かけると必ず家庭用にまとめ買いをするそうだ。

 

 函館漁港はふつう入船(いりふね)漁港と呼ばれ、観光地というのイメージが乏しく、相当な拡大地図でないと名前が見当たらない。私は2年間、函館に住んだが来た記憶がない。

 

 奥さんが事務所に入って買い物をしている間、漁港を見渡すと、誘魚灯をたくさんぶらさげたイカ釣り船が何隻も岸壁に係留され、後ろに函館山がそびえていた。

 

 この漁港は1896(明治29)年に改良工事が始まり、石積みの防波堤が残る。近くに「紀念碑」と、防砂堤や船揚げ場などの施設と一緒に土木遺産に認定されたことを説明する掲示板がある。

 

 漁港の近くに路面電車函館市電本線の起終点の停留所「函館どつく前」があり、湯の川行きが発車したところだった。女性観光客が無人の停留所にカメラを向けた。

 

 市電通りを走り、昼食の手打ちそば店「かね久 山田」(宝来町)に向かう。二十数年前の函館勤務時代にも行ったことのある大正中期創業の老舗。かけともりを両方食べる、午後2時ごろにはめんがなくなり閉店する、という人気店だった。それは今も変わらないらしく、正午前に入店した。

 

 テーブル席は先客で埋まり、小上がりへ。好みのそばを頼んだ後、テーブル席の方で「角煮でーす」と店の人の声が聞こえた。裏メニューがあるのだという。私たちも角煮を注文した。

 

 次に向かったのは北海道新幹線新函館北斗駅。駅舎の前は道路と緑地帯と駐車場だけの殺風景な景色だった。東海道新幹線に新横浜駅ができたばかりのころの風景を思い出させた。

 

 駅舎の中も特に見る所はなく、函館地方の有力スーパー「魚長」(うおちょう)大野店で夕食用の刺し身セットなどを買い込む。私も痛風によるタブーを排除して日本酒「一ノ蔵」を購入。

 

 空模様は怪しかったが、午後2時すぎと時間も早いからと、「きひじき高原」(北斗市)に寄ってくれるという。国道227号をそれて山道を上っていくと「メロディーロード」があり、地元がモチーフとなって作詞された童謡「赤とんぼ」など2曲を車のタイヤが奏でてくれる。

 

 きひじき高原は標高560メートルで、パノラマ展望台からは函館山津軽海峡が見えたが、北から低い雲が流れてきたため、天気のよい日にまた来ることにし、早々に国道に下りた。

 

 いったん帰宅し、館町の北にある鶉町の「うずら温泉」(大人400円)の大浴場で体をほぐした。うずら温泉は宿泊もでき、とがった塔が立つ洋風の外観が印象的だった。

 

「バイクの師」が住む道南・厚沢部 6月20日(火)

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日本最後の和式城郭・館城(たてじょう)跡

 道南の厚沢部町(あっさぶちょう)へ向かう日になった。ジャガイモのメークイン発祥の地とはいえ、有名な観光名所はなく、全道的なニュースもない、人口約4千人の過疎の町。

 

 ここにオートバイの面白さやツーリングの楽しさを教えてくれた、私より少し若い友人が夫婦で住んでいて、何日かの滞在を甘えていた。

 

 札幌のホテルを午前8時にチェックアウト。すぐ国道36号に出られるはずなのに30分余りも迷走した。定年退職するまで5年間も札幌中心部に住み、車もバイクも乗っていたのに…記憶も勘も衰えたものだ。

 

 札幌南インターチェンジ(IC)から道央道に乗った。樽前サービスエリア(SA)と噴火湾パーキングエリア(PA)で休憩を取り、八雲ICで下りた。16キロ先の落部(おとしべ)ICの方がつながりはよいが、給油と昼食には八雲の方が便利だと考えた。

 

 八雲町の国道5号沿いは昔と変わらない風景。そば店「正直家」でかき揚げそば(840円)を食べていると、なにかと話しかけてくる地元の高齢男性が「向かいのスタンドがこの辺では一番安いよ」と教えてくれた。そこでガソリンを満タンにして、国道を落部へ走り、道道67号に入った。

 

 名前が印象的な「銀婚湯温泉」を過ぎる。待ち合わせの「八雲町山ぶき駐車場公園」が右手にあった。やがて、赤いBMWのバイクがやってきた。バイクは20年以上使っているのはずなのに、ユーザー車検を通す腕前を反映して空冷エンジンの音は軽快だし、塗装はピカピカ。

 

 彼は札幌の会社を早期退職し、厚沢部町館町(たてまち)に居を構えた。「森と清流」が売りの町にふさわしく、ヤマベなど渓流釣りのポイントに恵まれ、それでいて釣り人が集中しないことが定住の大きな動機になったと言う。

 

 館町は町南部の集落。まだ午後4時前で日も高い。彼は自分の軽トラックを運転して館町を一回りしてくれた。松前藩が築城した日本最後の和式城郭「館城」跡(国指定史跡)があるとは知らなかった。旧幕府軍の攻撃を受けて3カ月で焼け落ち、土塁や堀、礎石などが残っている。

 

 桜の季節には「館城跡まつり」があり、官軍と旧幕府軍の行列などが行われ、彼も祭りの運営に関わっていると言う。

 

 彼の家のすぐそばの道道を1キロほど行くと町営の温泉施設・館地区憩いの家があり、この日の疲れを洗い流した。入浴料金は大人380円と安い。

 

 夕食の後、彼にうながされて外に出、夜空を見上げた。無数の星が空いっぱいにきらめいて美しく、地上ではカエルが大声で合唱していた。

 

 この日の走行距離は304キロ。

旭川・みそラーメン、札幌・酒バー 6月19日(月)

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道北の観光名所、層雲峡の銀河の滝


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俳優でもある桝田徳寿さんと奥さんが経営する酒バー

 この日も特に立ち寄り先は決めていない。宿泊する札幌市中央区のホテルに無事に着くことが最大の目的だ。とりあえずは国道39号を石北峠へ。

 

 午前9時半ごろの石北峠(標高1050メートル)は気温18度。売店は閉まっていて、駐車場に車は1台もない。ヒグマのキャラクターが「頂上」のボードを持つ絵柄の看板の写真を撮る。坂を下りかかると、緑の山並みの奥に残雪をいただく大雪山の上部が見えた。バイクを左端に止めて写真をパチリ。

 

 旭川で3年半、勤務したので、この先の層雲峡を観光する気はなかったが、長い銀河トンネル(約3.3キロ)を走っているうちに、ふと「滝だけでも見物するか」と思い、トンネルを出てから戻るかたちで流星の滝と銀河の滝を見た。

 

 高い断崖絶壁の裂け目からほとばしる様子は遠目にも勢いを感じさせるが、手前の木々が伸びすぎていて滝の迫力を減殺していた。石狩川沿いの遊歩道は観光バスを連ねてきた中国人観光客でにぎやかだった。

 

 国道に並行する形で道北地方とオホーツク地方を結ぶ旭川紋別道の整備が進み、上川町辺りから国道沿いに「無料区間」の表示が見られる。未知の道路に興味はあったが、国道をのんびり走れば昼食時は旭川になる。旭川で食べるなら「よし乃」本店(豊岡1ノ1)のみそラーメン、と脳が素早く答えを出した。

 

 よし乃のみそラーメンは40年ほど前の旭川勤務時代にはまり、札幌では札幌駅地下の支店によく通った。本店は今も繁盛していた。オーナーは81歳になり、調理の現場から退いたと従業員が話してくれた。

 

 旭川からは国道12号を南下、滝川勤務時代に縁ができた皮革製バッグ類・馬具製造販売の「ソメスサドル」の砂川ファクトリー・ショールームに立ち寄った。二つ折り財布が1万円台から2万円と知って、そうそうに退出。

 

 美唄インターチェンジ(IC)から道央道に乗り、札幌ICで下りて午後4時すぎ、南2西6のホテルに着いた。バイクは近くの契約駐車場に入れ、1泊1千円を前払い。

 

 このホテルにはなじみの飲食店が入っている。初めての札幌勤務となった二十数年前に職場の同僚に連れていってもらって以来、たびたび通った「酒房」が昨年、このホテルに移り、小ぢんまりとした「SAKE BAR かまえ」を開店したのだ。

 

 マスターの桝田徳寿さんは俳優でもあり、映画「探偵はBARにいる」のマスター役。演劇、音楽関係者との交遊も多い。初老のころから品のよい二枚目だ。当然、奥さんはかわいい美人。

 

 東京を出る前に、店に顔を出すと連絡をしておいたところ、私のかつての飲み友達に誘いをかけてくれており、懐かしい人たちと久しぶりに再会。世事や近況、思い出話で盛り上がったのは言うまでもない。

 

 店は、酒もさかなもワンコイン(500円)の新方式となり、桝田さんの出身地・大分の地酒やハイボールのお替りが続いた。

 

 この日の走行距離は271キロ。


 

内陸の雄大な風景 6月18日(日)2の2

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道東の大規模な畑作地帯の向こうに斜里岳がそびえる


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芝桜の丘が広がる東藻琴の公園。ピンク色の世界を想像する

 

 北海道上陸4日目は、言わば移動日。北見市の「塩別つるつる温泉」まで約200キロの行程だ。適当に見どころに立ち寄ろうと決めて午前9時、尾岱沼の民宿を出発した。

 

 国道244号を斜里町へ向かい、道道から国道334号に入る。渓谷に残雪がある斜里岳が見え隠れする。斜里岳はやがて、だだっ広い小麦とジャガイモの畑の向こうにそびえて見え、いかにも北海道的な風景。

 

 小清水町の農協スタンドで給油。小清水といえば「原生花園」だが、スタンドの人が「今は花がないよ」と言うので、そのまま334号を西へ。

 

 大空町東藻琴に入ると、ピンク色のシバザクラがまばらに咲く畑が目に留まった。「芝桜公園 苗畑」の看板が立つ。

 

 花の時期はとっくに終わっているに違いないと思いつつ、道内の芝桜の名所・滝上町と比べてどうなのかなと好奇心がわき、立ち寄ってみることにした。

 

 公園の駐車場に車は1台しかなく、入場門には案の定、「芝桜まつり終了」の表示があった。日当たりのよい斜面はすっかり緑の葉に覆われていたが、入り口近くの平地や木陰に、咲き遅れの花がわずかに見られた。

 

 後で調べると、農家がこつこつと増やしてきたものを旧東藻琴村大空町などが整備し、今では10ヘクタールの規模に。カンカン照りの下を少し歩き回り、「銀嶺水」と名付けられた飲用水の蛇口からペットボトルに水を補給させてもらった。

 

 来る時とは違う道を334号に戻る途中、「乳酪館」ののぼりが並んでいるのを見て立ち寄った。館内にはスイスから直輸入した大小のカウベルや集乳缶を展示したり、中世ヨーロッパのチーズ作りをジオラマで見せたりして、牛やチーズに興味を持ってもらう造りになっている。

 

 バター作りなどの体験やチーズ製造見学もできるが、日曜日は休み。カマンベールチーズソフト(350円)を食べ、体を内から冷やした。

 

 美幌町国道39号に入る。この先の北見市には20代のころ、3年半暮らし、その後も道東観光の中継点としてしばしば訪れたことがあり、なんとなく見知った風景。でも2006年に周辺3町と合併し、全道一の広さとなった。

 

 合併した旧端野町の国道脇に、そば店「いなだ」の看板を見つけ、南隣の置戸町に同じ名前の店があったことを思い出した。かなり大きな店構えで、大勢の客がいた。納豆そば(800円)を注文するついでに店員に聞くと、やはり本店は置戸にあるという。懐かしさはそばをよりおいしくする。

 

 北見の市街地を抜け、旭川方面へ進む。旧留辺蘂町温根湯温泉は新婚旅行で泊まった所。そこから7、8分先につるつる温泉への入り口があった。

 

 ここも厚沢部の友人の推薦だ。「お湯がやわらか。早朝、エゾリスがみられるかも」とメールにあった。民宿やビジネスホテルでの宿泊が続き、「たまに1万円超えのぜいたく宿を」と予約した。

 

 透き通って豊かな湯はかけ流し。古くからある内風呂「竜神の湯」の方が、露天風呂より濃いのが実感できた。食事は部屋食。料理も痛風患者にとっては好ましからざるものが多かったが、自己責任を言い訳に、不摂生と食べ過ぎを許したのだった。

 

 ちなみに翌朝、カウンターの人にリスの話をすると、「めったに出てきません」との返事だった。

 

 この日の走行距離は205キロ。

輪切りのサケの茶漬け 6月18日(日)2の1

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特製の朝食、サケのお茶漬け。サケは豪快な輪切り

 尾岱沼の「海の宿みさき」で、朝食は思わぬ選択が待っていた。普通の和定食でなく、「ジャンボサケの茶漬け」もあるという。

 

 先に着座して朝食をとっていた男性は和食だった。東京・府中市から来て自転車で道内を走り、今日は風連湖に行くと言う。74歳とは思えぬ若さ。

 

 茶漬けについてかあさんに詳しく聞くと、旅行専門誌と別海町の旅館・ホテルが共同で考え出した朝食限りの特製メニュー。旅の話題としても食べない手はない。

 

 「ちょっと時間がかかるよ」と言う。この日は札幌の中継点として北見市の塩別つるつる温泉に泊まるだけで、途中は気ままに休憩する予定だったから何の問題もない。

 

 背の高い「すしおけ」のような入れ物(これも器を見せるための演出)の上に白飯と焼いた輪切り(筒切り)の塩ザケが乗り、皿には、すりおろした野ワサビとゴマなど3種の薬味、急須に入れただしが付いてきた。

 

 サケとご飯を茶わんに取り分け、それぞれの味を楽しんでもらう趣向。私はツンとからい野ワサビが一番気に入った。

 

 かあさんは「賛同する旅館がうちを入れて4軒しかなくて」と声を落とした。しかし、それだけ希少価値があるとも言える。

なんて親切 民宿のかあさん 6月17日(土)3の3

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源泉かけ流しの野付温泉・浜の湯の露天風呂

 野付湾に近い民宿「海の宿みさき」。夕方、玄関先に近所の人と思える女性が来て、「飛行機、あした飛ばないんだね」と言うと、民宿のかあさん、富崎清美さんが「残念だね。向こう(国後島)が霧じゃ仕方ないね」と応じる。

 

 明日は、北方領土へ初めて航空機を利用した日帰り墓参が行われることになっていて、墓参団が朝、中標津空港を出発する予定だったのだ。旅に出ると、どうもニュースにうとくなる。(結局、航空機による墓参が実現したのは9月23日だった)

 

 かあさんに、この宿を紹介してくれた友人が「ぜひ行ってごらん」と薦めた温泉の公衆浴場についても聞いてみた。

 

 すると、まだ夕飯の準備には早いから、車で送り迎えしてくれると言う。道順はちょっとわかりにくいし、歩くと20分ぐらいかかりそうなので、ありがたくお願いした。

 

 野付温泉「浜の湯」は源泉かけ流し。泉質はナトリウム―塩化物泉(旧食塩泉)。内風呂も露天風呂も浴槽から湯があふれ出ている。先客はいなかった。

 

 迎えに来てもらう手前、長湯はできない。時間を気にしながら、ぬるめの露天ぶろで体をほぐした。風呂を上がると、受付の女性経営者が宿に電話してくれた。

 

 宿の夕食は、「漁が始まればうちも2匹付けるんだけど」という北海シマエビはなかったが、タコ、イカ、ウニの刺し身にカレイの煮つけ、ホタテの天ぷら、アサリの酒蒸し、イクラなど海の幸が満載。フキの漬物、ワラビのおひたしといった山の幸も。

 

 禁断の日本酒を、「あれば純米酒を冷やで」と頼むと、根室の地酒「北の勝(きたのかつ)」がグラスになみなみで出てきた。「うちはこれしかない」と言う。それは本醸造だったが、もうなんでもよかった。シマエビ漁ショックも消えていた。

 

 この日の走行距離は136キロ。

痛恨 北海シマエビ漁は解禁前 6月17日(土)3の2

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根室海峡の向こうにかすんで見える国後島

 尾岱沼(おだいとう)では北海シマエビ漁を目の前で見ることにあこがれていた。

 

 打瀬舟(うたせぶね)と呼ばれる白い三角の帆を張った小舟が網を引く明治以来の伝統漁法。湾の向こうに鳥のくちばしか釣り針のように延びる野付半島とともに何度か尾岱沼を訪れたが、操業時期を外したり悪天候で出漁しなかったりで、漁を間近で見学できる観光船に乗りたい思いは募る一方だった。午前8時前の朝早い集合なんの、2時間で1万4千円の料金もなんの。心配は定員が12人までと少ないのではじかれることだけだった。

 

 この夢があっけなくくじかれたのは、尾岱沼の宿泊先の温泉民宿「みさき」で、宿を仕切る“かあさん”から「今年の漁始めは19日」と聞いた時だった。

 

 北海シマエビ漁の漁期は夏と秋の2回あり、夏漁は「6月中旬から」のはずだった。「天候は運任せ」と覚悟はしていたが、フライングはまったくの想定外だった。だが、北海道からの帰着日をもとに、練りに練ってコースを組み立てた結果だから仕方がない。

 

 実は痛風の治療中の身。プリン体の多いエビは極力避けるようにという神のおぼしめしと思うことにした。観光船を下りた後、活エビとゆでエビを試食できることになっていたのだから。

 

 こんな結末が待っているとはつゆ知らず、釧路のホテルを出発。この時点で国道272号をひたすら北東へ向かうことに決めた。国道44号をそのまま根室へ向かい、厚床から北上するなどのルートも考えたが、「わかりやすい」を最優先した。

 

 国道272号は、いかにも北海道を走っているという印象だ。見えるのは林か草地で、人家がない。中標津まで約80キロ区間にある信号は3カ所だったように思う。制限速度で走ったが、後続のすべての車が追い越していった。

 

 標津町に入ると風が冷たくなり、海が近いことを教えてくれる。272号が突き当たるT字路を右折して国道244号を南下する。V字分岐を右に入れば244号だが、ぼんやりしていてつい左の野付半島方面の道道へ。

 

 まもなく「展望パーキング」という駐車場があり、ツーリングらしいバイクが数台止まっていた。私もそばに止め、シルエットがかすむ国後島や下半分がもやに隠れた知床半島に目を凝らした。

 

 この景色が大きな意味を持っていたと知るのは民宿に着いてからだった。

 

 来た道を戻り、244号を南に向かうと目当ての民宿はすぐわかった。