無事帰宅 7月2日(日)

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苫小牧へ向かう新造船とすれ違う

 大洗港行きのフェリーで7月2日午前7時すぎ、苫小牧に向かう新造船を左舷に見た。退屈な船内生活で、唯一印象に残る出来事だ。

 

 船は定刻通り午後2時、大洗に入港。東水戸道に乗るまでは渋滞に悩まされたが、水戸大洗ICから先は常磐道・守谷SAで休憩しただけで午後5時すぎ、無事、西東京市の自宅に着いた。

 

 この日の走行距離は138キロ。全走行距離は2612キロとなった。

 

<あとがき> 2020年5月19日(火)

 この北海道ツーリングは、3つのテーマを時系列で組み立てました。(1)道東の未体験ゾーン(2)友人宅拠点の道南観光(3)道央の勤務地再訪――です。これにも厚沢部の友人から助言をもらいました。

 

 なぜオートバイで、なぜ6月だったのか。北海道は列車とバスで旅することが難しいのは身をもって知っています。車は数年前に手放していたので、ここは20代から乗り続けているバイクにしました。経済的で、なによりも乗って楽しい。

 

 時期は、自分の地域活動に比較的支障がないことや、近年の夏の北海道は東京や大阪よりも暑い日が出現するのが珍しくないため、真夏より早い方がよかろうと判断しました。

 

 旅の記録はメモ帳を基に、現地で入手した資料で補うなどして、2週間かけてまとめました。ブログで公開するにあたっては、おもにプライベートな部分を削除。

 

 帰りのフェリーの中で書いた、旅の総括のようなメモにはこうあります。「旅の終わりの、感傷的なものはない。家に帰ったらまず洗濯だな。風呂にもゆっくり入りたい」。とにかく、いい旅でした。会ったすべての人に感謝しています。

苫小牧 野鳥の聖域の「警告」 7月1日(土)

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ハクチョウの排せつ物を写真付きで解説し、注意を呼びかけ=ウトナイ湖

 美唄のホテルで朝食(和定食)を完食して午前8時半、美唄を出発。今日もコースや立ち寄り先は風任せ。大洗港行きフェリーは苫小牧港発午後6時45分、距離は約100キロだから高速道を使うまでもない。

 

 岩見沢国道12号から左の国道234号に入る。田舎の風景を見ながらのんびり走ろうとしたのだが、沿道にはこれといった見どころのないことを思い出した。苫小牧の郊外、沼ノ端まで来てしまい、市街地はもうすぐだ。

 

 とりあえずコーヒーでも飲むかと思ったら、ついでにケーキ、ならば国道36号沿いに「三星(みつぼし)」の店があったはずと連想。三星ハスカップの果実を使った菓子の製造販売で知られる。

 

 新開店に男性客の姿はなく、さすがに気後れした。しかし、買い上げた客はコーヒー無料、ケーキは東京よりも安い。腹を据えてシューケースの前に立ち、ショートケーキを選んで窓に沿うカウンター席に腰を下ろした。コーヒーをお替りし、地図を開いて次の行き先を探した。

 

 この時は国道276号で支笏湖に行って帰るつもりだったが、276号に折れる手前で「ウトナイ湖」方面を示す道路標識を見て心変わり。野鳥の聖域でラムサール条約の登録湿地になっている程度の知識は持ち合わせていたものの、なぜか魅力を感じず、訪れたことはなかった。

 

 国道36号に面した道の駅ウトナイ湖の駐車場にバイクを止めた。まずは湖を見にいこう。売店などの入る建物を抜けると湖面が広がる。土曜の午後のわりに人出は少ない。

 

 岸辺で遠くを見渡し、水鳥のいない時期だからだろうかと思いながら足元に目をやると、「これはハクチョウのフンです」の掲示物があった。写真付きで、「黒くて大きいですが……ヒグマやキツネ、シカのものではありません」「水草を川底の泥ごと食べるのでたくさん出ます」と親切な説明している。もちろん「踏まないようご注意を」の文も。周りを見ると、ある、ある。人間並みの大きさで。

 

 売店で特産ハスカップ入り飲むヨーグルトを買って飲み、隣の野生鳥獣保護センターへ。展示ホールに見学者は数えるほどしかいない。1階で四季を描いた壁画を、2階からは渡り鳥目線で1階の床に描かれた湖と周辺の陸地を見る。2階の市民ギャラリーにはシマエナガという森の鳥の写真が展示されていた。

 

 自然観察路を歩く元気はなく、フェリーターミナルに早く着いて乗船手続きを済ませることにした。午後3時ごろターミナルに着くと、先着バイクは2台だった。それが5時ごろには約30台になっていた。船は来た時と同じ「さんふらわあ さっぽろ」で、雑魚寝のエコノミールームにも同じ10人が振り当てられた。

 

 行きの船内で、孫の土産にしようと考えたフェリーのミニチュアを2個買った。孫は3歳なのに、おもちゃの対象年齢が7歳以上という表記を見逃していたことに気づいたのは帰宅後だった。

 

 この日の走行距離は158キロ。

 

美唄 炭鉱遺跡とやきとりと 6月30日(金)2の2

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三菱美唄炭鉱の盛時を伝える竪坑のやぐら

 今夜泊まる「美唄ホテル スエヒロ」で玄関横にバイクを置かせてもらい、近所を歩き回った。

 

 ホテルの近くには、私が3年間暮らした事務所兼住宅が、ほとんど昔の外観のまま残っていた。のちに経営合理化で売却され、個人の家になっている。

 

 古巣やショッピングセンターの売り場などを見て時間をつぶし、ファミリーレストラン「寿楽」で知人と再会、昼食を共にした。

 

 この時までは、市内を1人でツーリングするつもりだった。ところが彼は「俺のガイシャで行こう」と言ってきかない。新車と思えるフォルクスワーゲンの「Up(アップ)!」が炎天下の駐車場にあった。

 

 エアコンの風量を最大にして、旧三菱美唄炭鉱跡地方面へと向かってもらう。途中、桜の名所・東明公園に立ち寄り、道道を奥へと進む。

 

 右手に赤いやぐらが2本見えた。作業員の出入りや原炭の搬出などに使う竪坑のシンボルで、炭鉱閉山後も残された。ほかにも施設の一部が残っており、北海道と市が「炭鉱メモリアル森林公園」として整備した。

 

 訪れる人がいないのか、生い茂った夏草で車の入り口がわからず、どこまで進入できるのかも見定めにくい。車は底を固いものにぶつけながら行ける所まで入った。

 

 竪坑周辺配置図の看板を見て、「開閉所」や「原炭ポケット」の名称と施設の役割を知り、そばに行ってみた。炭鉱育ちの彼は記憶をまさぐっているふうだった。

 

 車に戻り、さらに奥へ。美唄ダムの少し先で工事中のため通行止めとなっていて引き返す。この道道は将来、美唄富良野をつなぐという。

 

 次にマガンの日本最大の寄留地・宮島沼を訪れた。在任中、マガンの不審死が相次ぎ、猟銃の弾による鉛中毒事故が大きな話題になったことが忘れられない。今の時期、マガンはもちろん、渡り鳥の姿は見えない。

 

 この後はいったんホテルへ送ってもらい、夜の部は出直すことになった。店は焼き鳥屋。「美唄やきとり」は、鶏の内臓(もつ)のいろいろな部位や皮、玉ネギを串に刺した塩味が特徴で、全国的に知られているようだ。私の在任中に「たつみ」がゆうパックを始めた記憶がある。いくつかある有名店のうち、彼の一存で「三船」と決まった。

 

 ビールももつもプリン体が多く、痛風の元。最悪の組み合わせと言われていたが、今宵もなんの、おきて破りだ。酒の中でもプリン体の多い日本酒も飲んだ気がする。

 

 かつて彼の部下で今は課長の職に就く女性が駆けつけてくれたこともうれしくて、彼女とずいぶんと話し込んだようだが、何を話したのか記憶がない。女性が途中で帰ったのと、彼がホテルまでタクシーで送ってくれたことはなんとなく思い出せるのだが。

 

 この日の走行距離は44キロ。

 

上砂川 生家見納め 6月30日(金)2の1

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保存されている旧上砂川駅舎。「悲別駅」としてドラマの舞台にもなった

 滝川から美唄を目指す。美唄は、元号が昭和から平成に変わり、40歳で東京から初めて単身赴任した地。お世話になった知人と正午に会う約束だ。途中、国道12号を砂川市で左に入り、上砂川町の生家を見にいくことにした。

 

 午前9時、滝川で泊まったホテルの壁際に咲くハマナスの花を写真に撮って出発。ハマナスはバラの野生種で「北海道の花」になっており、内陸でもよく見られる。

 

 生家は昔、母の両親(私の祖父母)が魚屋を営んでいた。当時、私の両親は神奈川県で暮らしていたが、戦後の食糧難もあって北海道の実家で出産したのだった。

 

 その家はいつしか売却され、道路に面した側はスナックの外観に変わったが、2階の窓は昔の面影を残していた。近所の人に聞くと、営業はとっくにやめ、夫婦が住んでいると話してくれた。これで見納めだろう。

 

 「上砂川駅」にも寄った。JR函館線の砂川駅から分かれる支線の終点。鉄路は、炭鉱閉山と人口減少で1994年に廃線となり、有人駅時代の駅舎が残っている。

 

 廃線後、架空のまち「悲別(かなしべつ)」を舞台とするテレビドラマ「昨日、悲別で」(1984年放送)の撮影の多くが上砂川町であり、その駅だったことから「悲別駅」の看板も掛かる。駅舎の中にはロケ当時の写真や運賃表も展示されていた。

 

 駅舎を後に道道をそのまま進む。道端に「夜間は除雪しません」の標識が時々現れる。交通量が少ないことを証明するように、ないえ温泉までにすれ違ったのはパトカー1台だけ。森が終わり、水田が広がり、奈井江町国道12号に出た。

 

 寄り道や遠回りをしても、美唄市街地の待ち合わせ場所には1時間も早く着いた。

地方勤務最後の地・滝川 6月29日(木)2の2

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国道12号の道の駅たきかわ

 旭山動物園にいた正午ごろから降っていた小ぬか雨が深川を走るうちにやみ、ほっとする。2時を大きく過ぎており、滝川の市街地に入る前に昼食をとることにして道の駅たきかわに寄る。

 

 道の駅は滝川勤務時代の1999年夏に開業した。奥のレストランで、地元産の食材アイガモ肉を載せた「あいがもそば」(980円)を注文した。客は少なく、意外と早く早く出てきた。肉の枚数、つゆの味とも満足。

 

 ホテル三浦華園に3時半に着いた。滝川では一番格式の高いホテルとされる。特に格式を求めたのではなく、二者択一でここにしたようなものだ。朝食バイキングにはちょっと期待があった。

 

 現役時代に世話になった「食事処」に行くまで時間はたっぷりある。フロントでホテル周辺の地図をもらい、商店街のベルロード、飲食店が集まる三楽街、市役所から職場のあった明神町-と昔を懐かしんで1時間半、歩き回った。

 

 見た目は記憶どおりの風景があった。しかし商店街はシャッターを下ろしたままの店舗が増えたようで、閉鎖した名物飲食店もあった。

 

 ホテルに戻ってシャワーを浴び、一休みして本町の食事処へ向かった。ママから指定された8時に着くようホテルを出た。元気を回復したので、15分ほどの距離を歩いた。店でまち歩きの感想を話すと、彼女は「不景気。どんどん悪くなる」と険しい表情を見せた。

 

 彼女は「好きな時に好きな料理を作り、料理のわかる人たちに食べてもらう」という夢を語り、なぜか高価な天然由来の洗剤をくれた。金融機関の職場グループが入ってきて、そちらの接客が忙しくなったのを機に店を出た。11時を過ぎていた。

 

 この日の走行距離は71キロ。

楽しいぞ 旭山動物園 6月29日(木)2の1

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ペンギン館に入ると早速「空飛ぶペンギン」たちがお出迎え


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水中をダイナミックに泳ぐホッキョクグマ

 

 旭川市旭山動物園は、旭川で勤務していた40年ほど前に家族で行ったことがある。その後は「行動展示」で大ブレークしても再訪する気は起きなかった。しかし、今回のツーリング計画を練る中で、死ぬまでに一度は見ておく価値があると思うようになり、立ち寄り先に決めたのだった。

 

 インターネットで見学者の体験談を読み、混雑を避けられる時間帯や人気館の効率的な回り方を頭に入れたし、動物園へのルートの下見も済んでいる。

 

 開園は午前9時半。混雑を予想して1時間前にホテルを出発した。途中のコンビニで簡単な朝食をとり、9時すぎに駐車場に到着。西口の切符売り場にはすでに8人が並んでいた。

 

 入園券(大人820円)は15分前から売り出されたが、開園は定刻通り。門が開くのを待つ間、周りの人の券を見ると、券面に描かれた動物が違う。窓口の人に聞くとシカ、ヒョウ、オオカミなど5種類あるという。スタートから、芸が細かい。

 

 開門して、まずは「ぺんぎん館」へ。正門から入るよりも近い。ペンギンが頭上の水槽を次々とよぎる。速い。本当に空を飛んでいるようだ。誰もが立ち止まってカメラを向ける。このインパクトは、これから先も楽しめますよという園からのメッセージでもあった。

 

 室内展示ではキングペンギンが立ったまま足の上で卵を温めており、フンボルトペンギンが近づくと威嚇する場面も。ペンギンは4種類いて、特徴が図に描かれているので、すぐ見分けられる。毛づくろいも間近で見ると愛らしい。

 

 ホッキョクグマは陸上の動きはのっそりだが、水中の泳ぎはダイナミックだ。水を得たクマ。そばにいた女の子が「おっきいね」と声を上げた。映像ではわからない本物の迫力。

 

 「ほっきょくぐま館」から下の「あざらし館」へ。部屋の真ん中に水をたたえた巨大な円柱が立ち、ゴマフアザラシがくぐり抜ける様子を見られる、はずだったが、10分以上待っても、上からも下からもアザラシは来なかった。がっかり。

 

 それからは「もうじゅう館」「オオカミの森」など見落としのないように園内マップで確かめながら上へ向かう。

 

 坂を下ると、「かば館」。アクリル板すれすれに巨体を寄せて泳いできたカバの、大きな目と足の裏がはっきり見えた。あの足の爪で蹴られたのか、アクリル板には大小いく筋もの傷がある。

 

 「きりん舎」を最後に西門に戻った。午後1時を過ぎていた。

 

踏切異常に遭遇 札幌~旭川 6月28日(水)

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翌日に備えて旭川動物園の入り口を下見

 前夜の酒は後を引かなかった。朝食バイキングを十分に食べて午前8時40分、札幌のホテルを出発。帰りの始点となる旭川のホテルにチェックインすることが一番の目的だ。ざっと150キロの距離では高速道路を使うまでもない。

 

 昔なじみの国道12号を走りながら、50歳前後に勤務していた滝川のある飲食店を訪ねようと決めた。夜、最も多く通い、ママは強烈な思い出をいくつも残してくれた。

 

 「うちは飲み屋じゃないの。食べ物屋」と主張して酔客の言動をピシャリとたしなめる。演歌系の歌がプロ並みにうまい。あっけらかんと話す日常生活での失敗ネタが面白く、「まとめて本を書いたら」と勧めるたびに「あなたが書いてよ」と言い返された。

 

 道に迷わず、滝川市本町の店の前に着いた。「明日ゆっくり来るから」と告げ、塩ラーメンと食後のコーヒーを頼んだ。

 

 私の後から同年配に見える女性が入ってきた。CDを全国発売したした赤平市の女性歌手、重原美子さんだと紹介される。3人で話が弾むうち、彼女のCDをいただくことになった。

 

 そのうち「踏切の警報機が鳴りっぱなしよ」とママが異変に気付いた。外に出ると、店の前の道路に数台の車が並び、その先にあるJR函館線の踏切は遮断機のバーが下り、赤色灯が点滅を続けていた。

 

 「警報機の故障かね」「JR北海道は事故が多いね」と野次馬を決め込んでいると、パトカーがやってきて、警察官が車に迂回するよう指示を始めた。

 

 このハプニングで時間を費やし、午後1時半すぎ、再度明日の来訪を約束して出発。夜、旭川でテレビのニュースで知ったのだが、旭川市内のJRのトンネルでモルタル片が落下しているのが見つかり、点検作業のため、昼過ぎから6時間以上も深川―旭川間で運休したという。

 

 旭川郊外のビジネスホテル飛鳥には3時半ごろ着いた。明日、朝イチで旭山動物園に入るため道順を入念に聞き、後ろの荷物だけ降ろし動物園目指して走った。交差点を2つ曲がれば、あとは一直線とわかりやすい。動物園のバイク専用駐車場、西口の切符売り場を確かめ、帰りも道を間違えずに着き、おおいに自信をつけた。

 

 ホテルは素泊まり。近くにある食事の店を紹介してもらう。「すず」は定食、カレー、ラーメンなどメニューも値段も大衆食堂的な店だという。

 

 夕食時間帯でもあり、家族連れや勤め人でほぼ満席だった。カウンターで食べた肉入り野菜いため定食は650円。帰りがけに年配の男性客に「はやってますね」と話しかけると、「いつもこうだよ」と返ってきた。店の雰囲気と同じように、客も気安い。

 

 この日の走行距離は167キロ。