幻の民族学博物館 先達の軌跡たどる 未来の姿めぐりシンポも

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 国立民族学博物館(愛称みんぱく大阪府吹田市)の前身ともいえる、西東京市(旧保谷市)にあった民族学博物館をめぐるシンポジウムが1110日、同市のコール田無で開かれた。
 「幻の民族学博物館~渋沢敬三・高橋文太郎・今和次郎・宮本馨太郎(けいたろう)の夢の軌跡~」と題し、市教委と下保谷の自然と文化を記録する会(高田賢<まさる>代表)が主催。幻の博物館は1937(昭和12)~62(同37)年ごろまであり、武蔵野の民家など日本初の野外展示物付き民族学博物館だ。
市民ら約150人が参加。高田さんは、屋外博物館構想を進め民族学を金銭面からも支援した渋沢の没後50周年であることや「歴史的文化遺産を後世にどうつないでいくかを考えてほしい」など、開催のねらいを述べた。
 標題の4氏それぞれの事績などに詳しい研究者らが講演。宮本記念財団理事長の宮本瑞夫さんは、保谷の博物館で実習し学芸員資格を取ったと言い、戦中戦後を通してただ一人、博物館と関わり続けた父・馨太郎について話した。博物館の土地を寄付した高橋文太郎の行状は城西国際大学准教授の森雅雄さん、渋沢の功績はみんぱく館長の須藤健一さん、博物館の全体構想図を描いた今和次郎については工学院大学名誉教授の荻原正三(まさみつ)さんが語った。
 パネルディスカッションは「未来につなぐ」をテーマに、西東京市在住で市文化財審議委員なども務める東京学芸大学教授の石井正己さんが司会となり、登壇した5氏に感想や提言を求めた。
 みんぱく館長の須藤さんは「いくらでもモノ(収蔵品)を貸す。文化的奴隷になります」と話し、保谷から移された標本資料などの〝里帰り展〟に積極的な姿勢を表明。このほかインターネットによる研究成果の公開、民具の収集保存と取り組むまちと連携したイベント企画などの提案もあった。
 司会の石井さんは「合併から十数年たち、これから西東京市の一体感をどうつくるか、ふるさとになるのか。戦略づくりという新たな宿題を背負った」と結んだ。(下の写真は左から高田賢代表、須藤みんぱく館長)
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