北多摩自然環境連絡会主催の「田んぼと伊奈石の横沢入(よこさわいり)巡り」が11月27日、行われた=写真は石山池。
横沢入は、JR五日市線の終点・武蔵五日市駅とその1駅前の武蔵増戸(むさしますこ)との間の北側にある地区。東京都が指定する「里山保全地域」の第1号として、荒れ果てた水田の復元などが進められ、山中には600年間にわたり石工たちが切り出し加工した石切り場の遺構が埋もれている。地元で研究を続ける「伊奈石の会」代表の内山孝男さんに案内してもらい、総勢14人が現地での解説に聞き入った。
参加者は午前10時、武蔵増戸駅前に集合。線路沿いを西へ向かう途中、道端の木立にムササビの巣穴があるのを教えてもらい、豊かな自然の一端に触れる。武蔵五日市駅との中間点に横沢入方面を示す標識に従って右折。ほどなく屋内にベンチを備えた「拠点施設」に着き、内山さんが作った資料を受け取る。これから分け入る雑木の山は紅葉が真っ盛りで、しばし見とれた。
建物のわきに何気なく置かれた石やかんがい用水路の護岸に組んだ石が、実は石切り場から出たかけらや石臼などの作りかけであることを知らされる。
水田は稲の刈り取り後に電気柵を外してからイノシシの出没が多く、餌のミミズを探して土を掘り返した跡や湿地に残る足跡が生々しい。鳥獣保護区なので捕獲できないという。
日本で一番小さいネズミというカヤネズミが細長い葉で作った小さな球状の巣を道端からのぞき込み、細く、ところどころ険しい山道を上る。「滑るので白い石は踏まないように」と時々、内山さんが声を上げる。2日続きの雨だったこともあり、帰路を含めて何人かが滑って転んだ。途中から急に石のかけらが増える。そこが伊奈石(砂岩)の層の端らしい。
山に入って約40分、石山池(石山の池)に達した。下へ下へと石を切り出していった結果、谷底になった場所だ。江戸中期にはすでに池だった記録があるという。岩壁には石を切り出すための矢穴の跡が横に連続的に残る貴重な遺構。風化が進み、保存のための手立てが急務となっている。この一帯を天竺山東尾根遺構群と呼ぶ。
帰りは途中から尾根道を進み、水田などの湿地帯を一望できる峰から出発地点に下りた。
昼食後、内山さんはかんがい溝の底に網を入れて水辺の生き物を捕獲。きれいな湧水の流れる所にしか住めないホトケドジョウやホタルの幼虫の餌になるカワニナ、東京では希少になったサナエトンボのヤゴなどが網にかかり、里山の復活を裏付けた。説明の後、生き物たちは元の流れに帰された。
のどかな農村風景の横沢入地区にも第2次大戦の跡は残っていた。水田地帯に沿う山すそには隣接地域と合わせて30を超える地下壕が掘られ、軍用機の部品や小銃、パラシュート、毛布などが隠されたという。天井部分の土が崩れ落ちるなどして口を開いたものはないが、入ろうとすれば入れる壕はあるそうだ。ただし、マムシと大量のカマドウマ(俗称・便所コオロギ)にご注意とのことだ。私たちは3カ所を見た。
「戦車橋」と呼ばれる、鉄枠のような橋が、水路2カ所に架かっている。現在は戦車ではなく、ブルドーザーから前部の排土板を外したような外観をした「牽引車」の一部とわかっている。この戦争遺跡も腐食が進み、関係する市民団体を悩ませている。