浮間公園・赤水門・知水資料館 荒川の歴史学ぶ

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 民間有志でつくる北多摩自然環境連絡会のウオッチング「都立浮間公園と荒川の歴史を訪ねる」が926日に行われ、19人が参加した=写真は赤水門(旧岩淵水門)。

 東京都公園協会緑と水の市民カレッジ専任講師の豊福正己さんが企画・案内する年間テーマ「水と緑めぐり」(全5回)の3回目。

 JR埼京線浮間舟渡(うきまふなど)駅に集合。駅前に広がる浮間公園の浮間ヶ池が、かつては氾濫を繰り返した「荒ぶる川」(荒川)の本流であったことなどの説明を聞き、風車のある方からほぼ一周した。

 公園東側にある浮間ヶ原桜草圃場(ほじょう)は、骨組みを残す畑を金網越しに見た。江戸時代にサクラソウの名所となった浮間ヶ原だが、河川改修などで環境が激変。本流が変わって肥沃な土がもたらされなくなり、さらに既存の土も関東大震災の復興で壁に使われた。

 戦後も、わずかに残った湿地が戸田ボートレース場の建設に伴う残土で埋め立てられ、工場用地や宅地に。そんなサクラソウを復活させようと、昭和30年代から地元の人たちが保存会をつくるなどして取り組んできたという。

 荒川堤防の階段を上る。遊歩道に出ると緑のゴルフ場と荒川、その向こうに埼玉県川口市の高層建築が並んで見える。ゴルフ場を見下ろす階段に座り、勉強会もあった。都営住宅などが立ち並ぶ堤防の南側一帯が水田だったとは想像が難しい。

 いったん堤防下の浮間都営団地の木陰で弁当を食べ、再び堤防の遊歩道を下流側へ進む。

 通りがかりに、国と北区が設けた浮間地区荒川防水ステーションで備蓄する堤防の根固めブロック群やヘリポートを見ることができる。

 赤水門(旧岩淵水門)と青水門(岩淵水門)が見えた。土手を下りて川辺に近づくと、まず氾濫危険水位などを示す水位観測塔、次いでボートなどを係留できる浮桟橋があり、赤水門に達する。

 赤水門は現在の荒川と隅田川の分かれる地点に大正時代に造られた。昔の荒川下流は今の隅田川を流れていたが、川幅が狭く、堤防も低くてしばしば洪水被害を起こしていたため、隅田川の東に東京湾に注ぐ延長22キロの人工の河川、荒川放水路を開削。大雨で流量が増えた時は水門を閉じて放水路へ流すことで隅田川の洪水を防ぐ仕組みだ。

 赤水門は老朽化により、1982(昭和57)年に下流の青水門に役目を譲り、産業遺産や土木遺産として子どもたちの学習の場などになっている。この日はテレビドラマの撮影で機材を搬入する人たちとすれ違った。

 赤水門からは荒川知水資料館へ向かった。資料館では荒川放水路工事が国家的な大事業であったことや荒川水系などについて、展示パネルや立体地形図などを見ながら知識を深めた。(下の写真は左から浮間公園、荒川堤防の遊歩道)
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