山形の旅(下) 羽黒山の大社殿と五重塔、そして…

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 「山菜鶏だし鍋」の具とつゆを小丼に盛り分け、そこにそばをくぐらせて食べるというご当地独特の山菜そばで腹を満たし、バスで羽黒山へ向かう。(写真は国宝羽黒山五重塔
 
 山形道に西川インターチェンジIC)から入る。右手に月山湖(寒河江ダム)と月山が見え、月山湖は1時間に1回の大噴水を立ち昇らせてくれた。ガイド嬢によると、噴水の高さ、ダム堤体の高さ、そばを通る国道の号など「112」がついて回り、竣工式も112日の1120分に行われたとか。
 
 湯殿山のふもとを過ぎ、久しく絶えていた集落が左手の下に小さく見えた。田麦俣(たむぎまた=鶴岡市)といい、屋根のそりや輪郭から「かぶと造り」と呼ばれる多層民家が2軒あるとの説明を聞き、車窓に目を凝らした。
 
 月山ダムの堤体をちらりと見て庄内あさひICで山形道を下りた。途中の電光気温計は31度を表示していた。
 
 ガイド嬢はこの間、いも煮あれこれ―例えば、山形市の「日本一の芋煮会フェスティバル」ではクレーンやショベルカーを使い直径6メートルの鍋で3万食を作ること、庄内地方は牛肉でなく豚肉を使い、みそ味であること、家庭では「いも煮カレーうどん」で食べ尽くすこと―などを話してくれた。さらに、玉こんにゃく、だししょうゆ、色抜きしてピリ辛の「ぺそら漬」、青菜を細かく刻んでほかの野菜と一緒に漬ける「おみ漬」、月山地ビールと山形の特産品について話し続けたのは言うまでもない。
 
 歩けば2446段の石段を1時間がかりという参道は、後から上り口から五重塔まで歩くことにして、バスは有料道路を一気に羽黒山414メートル)の山頂へ。
 
 羽黒山、月山、湯殿山の三神をまつる三神合祭殿は厚さ2.1メートルのかやぶき屋根が圧巻。合祭殿の前にある鏡池は、平安時代から江戸時代までの鏡が500枚以上出土し、池に鏡を奉納する信仰を物語るというが、水面は水生植物に覆い尽くされていた。
 
 約30分で境内を一回りしてバスに戻り、いでは文化記念館の駐車場で下車。「いでは観光ガイド」の旗を持った男性の案内で最後の見どころ国宝羽黒山五重塔へ向かう。
 
 今も続く宿坊の1軒を外から見て随神門をくぐる。いったん地獄へ落ちてから再生するという信仰から、200段ほどだけが下り坂。敷石には33カ所に簡単な線画が彫られていて、全部見つけると願いがかなうと言われているとバスガイド嬢から説明があったが、現地のガイド氏は、それらしい一つを示しながら、「いたずらで彫ったものや消えかけたものもあって、よくわかりません」。
 
 左手に国の天然記念物「爺杉(じじすぎ)」がそびえていた。樹齢1千年とされ、幹回りは10メートル。後ろに婆杉(ばばすぎ)があったが、明治35年に台風で倒れたという。このあたりから山頂まで続く杉並木も国の特別天然記念物に指定されている。その数は約400本にまで減っているという。
 
 爺杉の少し先に五重塔はあった。国宝の五重塔9基のうち京都、奈良以北で唯一。くぎは使わず、白木造り。そして「屋根の曲線美と杉並木に囲まれた優美なたたずまい」とガイド氏が特徴を語る。1千年の間、制震装置としての心柱が現在の姿を保ってきた。ここからバスまで引き返すのに40分余り。予定通りの時間配分にベテランの技を感じた。
 
 バスは時間に余裕を持ってJR羽越線鶴岡駅に到着。この間はガイド嬢から、庄内柿、だだちゃ豆、麦切り、おもちゃの入った「からからせんべい」など庄内・鶴岡名物について知識を増やした。
 
帰りの列車は午後436分発「快速きらきらうえつ」、終点の新潟から上越新幹線となっていた。
 
きらきらうえつがどんな列車なのか誰も知らず、乗り込んでから、床と座席の色や膝先の余裕、大型の窓を見て特別な列車ではないかと気づいたのだった。そのうち、あっちゃんが展望車が付いているから移ろうと呼びにきた。
 
ラウンジの最後方のボックス席に一人でいた女性に3人の相席をお願いすると快諾してくれた。座席が日本海側に配置され、「あつみ温泉辺りから村上にかけての景色がすばらしい」という。
 
海辺から突き出した岩や小さな海水浴場、遠くにかすむ粟島など海岸線の景色の変化を地酒の3種飲み比べセット(おつまみ付き1250円)とともに楽しみ、旅の疲れも時間がたつのも忘れた。1日1往復しかない観光列車のおまけを付けてくれた旅行会社に感謝する3人であった。(下の写真は左から三神合祭殿、快速列車の飲み比べセット)
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