案内役は多摩地方の歴史や城に詳しい同会幹事の小幡宥さん。田無小正門近くにある「養老畑碑」を振り出しに所沢街道と府中道の交差点角にある石幢(せきどう)六角地蔵尊、下田家の稗倉(ひえぐら)と養老田碑=写真=、総持寺、田無神社など午前中だけで13カ所に立ち寄った。田無神社では宮司の賀陽(かや)智之さんが境内を案内してくれた。
下野谷遺跡は今年3月に国の史跡に指定されたが、一部は以前から市の公園になっており、市教委の学芸員亀田直美さんが出前講座をしてくれた=写真下=。亀田さんは、遺跡の範囲を示したり国の史跡に値する理由を解説したりして、「自然と共生し組織的な戦いもなく1千年続いた縄文時代の大集落が眠る一方で、近くには大きな地下壕など戦争の傷跡も多い。私たちが今を考え、未来の子どもたちが自然や文化を考えるためにも遺跡を広く保存していきたい」と話した。
今回のまち歩きでは、文化財ではないが、戦争に関わる場所を訪れた。西武新宿線の小さなガード=写真下=は中島飛行機武蔵製作所(武蔵野市)からエンジンテスト場のあった現在の住友重工田無製作所(谷戸町2丁目)への引き込み線跡であり、柳沢公民館の南にあるしじゅうから第2公園は、米軍の原爆投下の訓練用爆弾による爆風で3人が死亡した畑だった。東伏見神社には空襲で亡くなった中島飛行機武蔵製作所の慰霊碑があった。