千葉県浦安市 「漁業のまち」の時代に飛ぶ

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 西東京市郷土文化会の6月例会は5日、東京ディズニーランドなどのテーマパークで知られる千葉県浦安市で市郷土博物館などを訪ね、時代を画した「漁業で栄えたまち」に触れた=写真は昭和27年ごろの街並みを再現した屋外展示場。

 31人が参加。地下鉄東西線浦安駅から舞浜行きバスで市役所前下車、郷土博物館へ。博物館の学芸員によると、歌川広重は名所江戸百景に浦安の情景を描いており、このころから「東京」だった。

 遠浅の前浜は4キロも続き、「貝の値段は浦安で決まる」と言われるほど豊かな漁場に恵まれ、関連産業も盛んだったまちが戦後、大きな転機を迎えた。

 製紙工場の廃水による漁場の汚染で魚介類は壊滅状態になり、工場に押しかけた漁民集団が警官隊と衝突。この事件がもとで1958(昭和33)年、後の水質汚濁防止法となる水質二法が制定される。しかし、71年に漁業権の全面放棄、その後の海面埋め立てでまちの姿は大きく変わり、埋め立て地では液状化現象が起きた。人口は2万人から現在16万7千人に。

 浦安の歴史を学んでから導かれた屋外展示場は、52年ごろの漁師町が再現されている。ノリ採り用の小さな「べか舟」が浮かぶ川の橋を渡ると、船宿や漁師の家、たばこ屋などが川べりに並ぶ。その奥の建物は、かやぶき屋根の三間長屋(県指定有形文化財)を挟んで豆腐屋、魚屋、それに作家の山本周五郎が通っていた天ぷら屋。

 漁師の家や三間長屋など多くは移築し、市の文化財になっているという。天ぷら屋には自動給茶機が備えられ、水分を補給しながら、周五郎の生涯やその作品「青べか物語」に関する展示資料を見た。別の建物では幼稚園児たちが浴衣を着て昔遊びを楽しんでいた。

 民家を一回りしてから、船の製造場や船大工が使った道具、エンジンなどを並べた「船の展示室」、魚が泳ぐ水槽や干潟のジオラマ、漁具などを集めた「テーマ展示室」と回った。

 博物館からはバスで浦安駅前に戻り、10分ほど歩いて浦安魚市場に入った。正午を過ぎ、営業は終わっていたが、場内の食堂に昼食を予約しており、海鮮丼、刺し身定食、焼き魚定食に分かれ、安くて鮮度の良い魚介料理を楽しんだ。

 昼食後にいったん解散し、堀江地区にある二つの文化財住宅を見学した。

 旧宇田川家住宅は1869(明治2)年建築の商家。米屋、呉服屋などを営み、大正時代に郵便局、戦後は診療所として使われ、地域の人々になじみが深い。2階板の間の隅に、疑わしい客をのぞき見したり話を盗み聞ぎしたりできる小穴があり、木の置物風のもので隠されていた。

 境川べりには江戸末期の建築とみられる旧大塚家住宅が残る。半農半漁の大きな家で、川側に土間があって当時の浦安の民家の特徴を示す。土間の上のはりには櫓(ろ)と櫂(かい)、漁具のやすが置かれていた。(下の写真は、幕末から明治にかけての江戸近郊の町家の形を伝える旧宇田川家住宅、旧大塚家住宅の土間の上のはりにしまわれた操船道具や漁具)
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