中島飛行機工場跡地 武蔵野中央公園に戦跡を訪ねる

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 戦時中、軍用機のエンジンをつくり、米軍機の空襲の標的となった中島飛行機武蔵製作所の跡地、都立武蔵野中央公園918日、戦跡を巡るツアーがあった=写真は新設された解説板前。

 西東京平和のための戦争展実行委員会が主催し、多摩地区から9人が参加した。実行委は数年前から年1回、西東京市内や近隣市で戦跡ツアーを催しているが、武蔵野中央公園は初めて。

 集合場所のバス停付近から園内の原っぱを抜けて工場のほぼ中心にあたる「爆撃照準点」へ。工場は9回にわたって爆撃を受け、工場区域だけで200人以上が亡くなった。主催者によると、工場から近く、職員住宅が多くあった西東京市は多摩地区で最も多い17回の空襲を受けたという。

 爆撃照準点には、陸軍専用の工場から始まり、隣接地に海軍専用工場もできた後に合併して最盛期には5万人が働いていたといわれる武蔵製作所の変遷や、米軍機の爆撃方法の変化と被害状況、戦後の歩みなどを写真入りで記した解説板が今年6月に設置された。

 ツアーでは工場跡地で発掘された地下道や地下道入り口などの写真の説明があったほか、むき出しで展示されているコンクリート製の床面の一部、空襲でも残ったシラカシ(その後、枯死)などを見て回った。

 この後、工場への引き込み線跡の遊歩道から五日市街道に出た。道路沿いにある延命寺で境内に展示する250キロ爆弾の破片を、源正寺の墓地では爆撃で大きく欠けた墓石を見た。幹部だけが出入りできたとされる工場正門跡(現高齢者総合センター)で正午ごろ解散し、2時間のツアーを終えた。

 参加者たちは「自分が住む地域にも戦争の跡があり、戦争をよりリアルに感じた」「仕事を休んできたかいがありました」などと話した。(下の写真は工場の地下道の床面、延命寺境内にある250キロ爆弾の破片)
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