上野から谷中、千駄木を歩く

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 西東京市ウオーキング協会の11月のミニウオーキング10日、東京都台東区の上野・寛永寺から谷中霊園谷中銀座商店街などを歩く約5キロのコースで行われた。

 1カ月前の暖かい陽気が予想され、26人が参加した。

 JR上野駅公園口を午前9時半に出発、右に進んでほどなく寛永寺旧本坊表門(通称黒門)が見える。正面には頑丈な鉄柵があり、少し先の門から境内に入り遠回りして門扉に開いた穴を見る=写真。新政府軍と彰義隊による上野戦争の砲撃の跡だ。

 東京国立博物館の敷地に沿って進み、反対側の寛永寺霊園に徳川家綱の、次いで綱吉の霊廟(れいびょう)の勅額門を遠目に見て根本中堂に着く。かつては上野の山全域が寛永寺のものだったというが、歩いた距離から推して今でも十分に広い。

 言問通りを渡って谷中霊園に入る。谷中霊園は都営だと思っていたが、内側に寛永寺の墓地が入り込んでいて徳川慶喜の墓もその中にある。鉄柵が囲み、門は施錠され、中には入れない。「子孫だ」と名乗る男女が柵越しに手を合わせた。

 最後の将軍慶喜は徳川宗家の墓所に入らず、墓は神式。玉石の土台の上に半球状の石が置かれ、円墳を思わせる。慶喜の子で勝海舟の養子になった勝精(かつくわし)夫婦の墓も同じような形だった。

 谷中霊園では、二代目の塔が幸田露伴の小説のモデルになり、その後放火に見舞われた天王寺五重塔跡に寄り、観音寺の築地塀(ついじべい)、三崎坂(さんざきざかか)を通って大名時計博物館へ。瓦と粘土を交互に積み重ねて造り200年を耐えた築地塀は寺町を強く印象付ける。

 大名博物館は、勝山藩(現岡山県)の下屋敷跡に建つ。門前の奥は薄暗く、空気が湿っぽい。もう季節外れであろう蚊が何匹も忍び寄ってくる。「都心とは思えない」と誰かが言った。

 入館料は団体割引で250円。陶芸家が趣味で収集し、戦後開設した。今は創設者の二代目の奥さんが管理運営している。展示する約50点のうち、ただ一つ動いている「袴腰櫓(はかまごしやぐら)時計」を例に、重りで動いていることなどのメカニズムや時刻の表示の仕方、目覚まし機能もあることなどを丁寧に説明してくれた。

 博物館からは河川跡の「へび道」、よみせ通り谷中銀座商店街と歩いた。へび道とよみせ通りは右が谷中で左が千駄木。土曜日でもあり、谷中銀座はレトロな店構えの下町風情や食べ歩きを楽しむ若者グループ、外国からの旅行者らでにぎわっていた。「夕焼けだんだん」と呼ばれる階段下で正午すぎに解散した。(下の写真は、江戸時代の大名時計が並ぶ博物館、にぎわう土曜昼時の谷中銀座商店街)
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