講義を聴き、「東寺展」を見た

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 武蔵野大学社会連携センターの美術鑑賞講座が4月11日、特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅(まんだら)」(6月2日まで)が開催中の東京・上野の東京国立博物館であった。二つの講義を聴いた後、展覧会を自由に見るもので、約100人が参加した=写真は立体曼荼羅のうちの国宝・帝釈天騎象像。

 京都・東寺は平安京遷都の際に建立され、中国から密教を学んで帰った弘法大師空海が説く真言密教の根本道場として栄えた。

 「東寺展」は空海が持ち帰った法具や自筆の書などの名宝をはじめ、空海真言密教の教えを仏像で表現した21体の立体曼荼羅のうち国宝・重要文化財の計15体が出品されている。

 講義は日本女子大学名誉教授の永村眞氏が「空海と東寺―真言宗の展開」、大正大学名誉教授の副島弘道氏が「東寺講堂諸像と平安時代前期の仏像」と題して話した。

 永村氏は、空海がもたらした真言密教から真言宗が生まれ、真言宗が興隆する拠点となった東寺は平安時代後期には荒廃し、鎌倉時代に後宇多法王によって再興されたことを、空海ゆかりの資料や東寺の歴史などを書きしるした東宝記(とうぼうき)を引用して具体的に解説。

 副島氏は、天皇から与えられた東寺で空海はすでにあった金堂の後ろに講堂を建て、仏像群を置いたことについて「自分の新しい宗教の魅力を仏像群というビジュアルな世界によって伝え、見る人をとりこにしようとした」とする一方で、五仏、五菩薩、五大明王のほかに奈良時代からある梵天帝釈天を両側に、さらに四隅に四天王を配置し、「伝統的仏教にも気配りした」と指摘した。

 そのうえで、1体でいくつもの顔や手足を持つ怪奇な姿や迫力のある造形の仏像について「調和的な古典彫刻への反抗と革新」「荒々しい感覚が漂っていた時代に人々が求めた姿」と語り、仏像の見方に大きなヒントを投げかけた。

 会期の序盤とあってか、展覧会場は幾重もの人垣ができたり立ち止まらずに進むよう促されたりするほどの混雑はなく、会場で唯一、写真撮影ができる国宝・帝釈天騎象像の前も順番待ちになることはなかった。

 持国天の怒りの表情を見ていると、若い時には「激情を持っていた」ことを思い出すと副島氏は語っていた。70代の私も、まだ既成のものへの抵抗心に火が付くことはあるが、目の前の異形の仏像とは同期できない自分を感じた。現代という時代の空気を吸って生きる若い人たちの目に、この仏像たちはどう映るのだろう。
(下の写真は「東寺展」を開催中の東京国立博物館平成館)
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