戦国時代の城跡から新時代の巨大建築物へ 所沢東部を歩く

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江戸後期の大庄屋の居宅で重要文化財の「黄林閣」

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巨石を想像させる「角川武蔵野ミュージアム

 市民団体・北多摩自然環境連絡会の観察活動「ウオッチング」が3月25日、埼玉県所沢市の東部地域で行われた。

 

 新型コロナウイルスの感染防止のため、本年度は人が密にならないことを見込んだ狭山丘陵散策シリーズが企画され、4回目のこの日が最終。

 

 緊急事態宣言が解除されて間もないせいか、参加は6人と少なめ。コースはJR武蔵野線東所沢駅を発着点として、所沢市が作ったパンフレット「ウォーキングナビ 東エリア」のモデルコースを短縮した約10キロ。

 

 東所沢駅から20分ほど歩いた坂の下に白く大きな観音像の背が現れた。真言宗東福寺だ。境内の高台からは柳瀬川に沿う桜並木が細い帯のように見えた。手前にかけては河岸段丘を示す地形、川の向こうは清瀬市ということだった。

 

 畑の道路側に野生化したムスカリの小群落を見つけたり、滝の城址公園の入り口付近でいつ来るかしれない花見客を待つ三つの露店に同情したりしてから、園内で早めの昼食をとった。

 

 午後の部は正午出発。つづら折りの階段を上り城山神社に着く。社殿前の広場が「滝の城」の本丸跡で、眼下に公園の野球場、その向こうに武蔵野線の高架など眺望が楽しめる。

 

 滝の城址は、戦国時代の城郭跡で、後北条氏支配下にあったが、豊臣秀吉の小田原攻めによって落城したという。神社の裏に回ると「四脚門跡」の説明板があり、足下に見える空堀に引橋を架けてあったとみられる。三の丸跡を経て、昔は外郭だったとされる住宅地に出た。

 

 県道179号に出て関越道を下に見て進むと国道463号(浦和所沢バイパス)にぶつかる。バイパスを渡ると右手に広場と長屋門が見えた。一部が国の重要文化財になっている「柳瀬荘」へは、この広場から狭い坂道を上っていく。

 

 この日の一行もまち歩きの達人ぞろいだが、柳瀬荘は知らないようだった。一般公開されるのは週に1回だけ。それが今日、木曜日だ。

 

 坂が終わると、かやぶき屋根の立派な古民家が現れた。重文の「黄林閣」。江戸後期に大庄屋の住居として東京都東久留米市柳窪に建てられたと聞いていたから、北多摩の住民として親近感を覚える。主屋の西に書院造りの「斜月亭」と茶室の「久木(きゅうぼく)庵」が連なる。

 

 柳瀬荘は、明治から太平洋戦争の戦後復興まで電力事業に情熱を注いだ実業家、松永安左エ門の別荘で、戦後まもなく東京国立博物館へ寄贈された。黄林閣の土間では、管理人が施設の維持管理が難しい実情や松永を巡るエピソードを披露。みんな真剣に聞き入り、次々と質問した。管理人の話では、ボランティアの人たちが整備を進める山林の遊歩道が年内に開通できそうという。

 

 柳瀬荘では想定外のほぼ1時間を費やしたため、東所沢駅方面へバスを利用する話が出たが、近くの停留所からは1時間待ちの可能性が高いことがわかり、当初の予定通り徒歩で「ところざわサクラタウン」へ向かった。

 

 サクラタウンは東所沢駅から北へ徒歩10分、所沢浄化センター跡に昨年誕生した大型文化複合施設。出版大手のKADOKAWA(東京)が建設、運営する。6階建てのビルにイベントホール、商店街、食堂、ホテルなどをそろえた。別棟で、図書館と博物館、美術館を融合した「角川武蔵野ミュージアム」、祈りの場の神社もある。

 

 このうち中核を担う角川武蔵野ミュージアムは建築家の隈研吾さんが設計し、内部には高さ約8メートル、360度本棚に囲まれた「本棚劇場」など見どころが多いようだ。しかし、建物そのものだけでも見ごたえは十分。高さ30メートルを超え、地を割って出た巨石をイメージさせる外観は花崗岩(かこうがん)の板材2万枚で覆われているという。

 

 角川武蔵野ミュージアムは外観を見るだけ、複合施設はKADOKAWA直営の書店「ダ・ヴィンチストア」に立ち寄るだけとあり、「朝からここ1カ所でよかった」と冗談めかした声も。「日本最大級のポップカルチャー発信拠点」をうたうところざわサクラタウンが新名所になるか、気にかけていたい。