幕末~太平洋戦争~2020五輪 武蔵野の森公園周辺を歩く


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 市民団体・北多摩自然環境連絡会主催の「ウオッチング」は17人が参加して6月26日、府中、調布、三鷹の3市にまたがる都立武蔵野の森公園とその周辺で行われた=写真は調布飛行場に着陸する小型機が近くに見られる武蔵野の森公園

 都公園協会の市民向け学習事業で講師を務める豊福正己さん(71)の解説付きで、西武多摩川線多磨駅から京王線飛田給駅まで約6キロを歩いた。

 多磨駅から武蔵野の森公園(北地区)を通り抜けて新選組局長・近藤勇の生家跡(調布市史跡)へ。近藤の親(宮川家)は7千平方メートルの敷地に屋敷を構える大きな農家だったというが、今は小さな三角地に産湯に使ったとされる井戸が残る。

 大沢グラウンド通りを戻り、旧陸軍の東京調布飛行場だった公園の東端に保存される掩体壕(えんたいごう)に向かう。掩体壕は戦時中、米軍の空襲から戦闘機を隠した格納庫。園内では弧を描く鉄筋コンクリート製の屋根上部が2カ所、地上に現れている。

壕の幅は最大12メートル余りとの説明から、機体の大きさが想像できた。壕の後部は尻すぼみの形状になっているのは、もっぱらバックで入庫したのだろう。資材の節約もあったに違いない。

旧飛行場にはコンクリートで隠す掩体と、土塁の上に竹で組んだ覆いをかける簡易なものがそれぞれ30基ずつあったという。

武蔵野の森公園調布飛行場が見渡せる芝生公園」が売りだが、旧飛行場の戦争遺跡も多い。北地区では飛行場を水害から守るため、玉石を張りつめて造った水路の一部が残る。玉石は多摩川で集め、西武鉄道の引き込み線で運び込んだ。作業には刑務所から受刑者が動員されたという。

公園に降った雨水を集め、景観づくりにもなる修景池の周りでは幾人ものカメラマンが野鳥を狙い、頭上には着陸態勢に入った小型機を何度も見ることができた。

ノウゼンカズラが朱色の花を開き始めたフジ棚の下や、大きな緑陰のできた芝生で弁当を食べた。

都道府県の石を置く「ふるさとの丘」を下り、滑走路沿いの直線歩道を南へ向かう。600メートル地点の標識を過ぎたあたりで右折しスタジアム通りに出て、味の素スタジアム東京スタジアム)目指して進む。

道路を挟んで味スタと向かい合うのは「武蔵野の森総合スポーツプラザ」だ。メインアリーナとサブアリーナ、西競技場などから成り、2017年11月に完成。2020年東京五輪パラリンピックの会場となる。

巨大で近代的な造形の建物に圧倒されながら、見学できるサブアリーナに入り、卓球大会をしばし観戦した。

空中通路で味スタ側に渡り、甲州街道(国道20号)の歩道脇に立つ1964年東京五輪ラソン折り返し点のモニュメントを見て飛田給駅前で解散した。

この日は梅雨の晴れ間となり、日傘を開く人がいた。最高気温も30度の真夏日に迫る暑さだったが、緑地を渡る涼しい風に救われた。

コースも幕末、太平洋戦争の戦中・戦後、過去と未来の東京五輪と変化に富む時代をたどることができた。
(下の写真は近藤勇の生家跡、陸軍の戦闘機を隠した掩体壕
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