江戸深川 芭蕉ゆかりの地を歩く

芭蕉ゆかりのまち歩きは、「奥の細道」へ出発した同じいおりからスタート

 江戸時代の俳人松尾芭蕉(1644~94)が37歳から住んだ深川(東京都江東区)のまち歩きが7月7日にあった。

 

 新聞社主催のイベントで7人が参加した。深川時代の芭蕉の足跡に絞った企画は初めてという。

 

 午前10時、東京メトロ半蔵門線清澄白河駅A3出入り口で無線受信機のイヤホンを耳に入れて出発。

 

 芭蕉の弟子だった度会園女(わたらいそのめ)の墓がある雄松院の門前、芭蕉と同じ時代を生きた紀伊国屋文左衛門の墓前で説明を聴き、「奥の細道」の旅の出発点となった「採荼庵(さいとあん)跡」へ。

 

 採荼庵は門人の別宅で、旅の前に芭蕉庵を手放し、ここに身を寄せていたという。庵(いおり)を模した建物の縁側に、つえと笠(かさ)を手に旅支度を整えた芭蕉像が座る。

 

 庵の横を流れる仙台堀川に沿い、「俳句の散歩道」が整備され、出立前と奥州・北陸から美濃の大垣に至る道中で詠んだ句の高札が桜並木の間に設置されている。

 

 清澄庭園は「古池や」の句碑はあるが、芭蕉を離れて名石や池の景観を楽しむ。

 

 芭蕉が和尚と親しく、たびたび禅に通っていたという臨川寺、大正時代に高潮の後、石のカエルが出土して創建された芭蕉稲荷神社を経て、「芭蕉庵史跡展望庭園」への階段を上った。

 

 庭園には台座の上に芭蕉の坐像が据えられ、隅田川を正面に見つめる。隅田川の少し下流に架かるアーチ状の青い清洲橋は水辺の景観を引き立てる。像の左の小名木川隅田川に合流。坐像の背後にはバショウが植えられている。

 

 正午をかなり過ぎていた。主催者側が昼食を予約していたのは創業が1924(大正13)年、「深川めし本家」を名乗る料理店。

 

 アサリの炊き込みご飯が小ぶりのせいろで出てきた。吸い物と小鉢が3つ。深川めしはいつか食べたいと思っていた。初めてなので採点は難しいが、おいしかった。

 

 深川めしがアツアツだったせいだけでなく、真夏並みの暑さに見舞われ、信じられないほど麦茶のお代わりを重ねた。「もう4杯も飲んだ」とためらう同行者がいたが、同じ量を飲んでいた私は欲するままにグラスを引き寄せ、注いでくれるよう店員さんを促した。

 

 午後は芭蕉記念館で芭蕉の生涯などを勉強。深入りするつもりはなかったが、ブログを書く都合もあり、常設展示図録の小冊子「芭蕉と深川」(300円)を購入した。

 

 このあと弟子たちが句碑などを建てたという要津寺、長慶寺の境内を訪ね、約3.5キロに及ぶまち歩きを終え、都営大江戸線森下駅で解散した。

 

 帰宅後、テレビのニュースは九州地方の大雨と「東京は今年一番の暑さ」を伝えていた。