黒曜石と土偶と火焔型土器 縄文のふるさとを訪ねて (1)

縄文人が黒曜石を採掘した岩脈の発掘現場

発掘現場へ向かう道端には縄文人が捨てたとみられる黒曜石のかけらが散らばる

 7月26、27の両日、黒曜石と土偶、火焔式土器のふるさとを訪ねた。ついのすみかと定めた西東京市縄文時代中期の下野谷(したのや)遺跡があることを知ってから、縄文好きになった。

 

 新聞広告で見つけた「星ヶ塔遺跡」の特別見学ツアーの広告が、「縄文人が掘った日本最古の採掘跡」とか「本州で最大といわれる黒曜石の原産地」とうたっていた。

 

 通常は立ち入り禁止だとかマイクロバスでしか行けない秘境だとかにもそそられたが、発掘調査した人が現地で解説してくれるというのが何よりありがたい。

 

 ツアーは黒曜石の後に長野県茅野市で国宝の土偶新潟県十日町市などで国宝の火焔型土器と続く。天然温泉のある老舗割烹旅館に宿泊し、旅行代金は1人4万9千円(1人1室は3千円増し)。

 

 企画・実施したのは星ヶ塔遺跡のある下諏訪町の観光振興局。ツアーに同行した若手スタッフ3人のうち2人は数年前に移住したという。新潟県へ足を延ばすのは初の試み。

 

 午前5時半に起床して簡単な朝食をとり、バス、JR各駅停車、特急あずさ3号と乗り継いで10時ごろに下諏訪駅に到着。駅員に切符を渡して改札口を出ようとしたら、自動改札機を通るよう言われて恥ずかしい思いがした。

 

 外はカンカン照り。集合場所の駐車場までは徒歩7分と知らされていたが、近年歩きが遅くなり、指定時刻ぎりぎりになった。早くも汗だく。ツアー客最後の11人目だった。

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 マイクロバスで向かった先は「星ヶ塔ミュージアム矢の根や」。ここの展示物を解説してくれたのは、星ヶ塔遺跡の発掘調査と保存活用に携わっている町教育委員会職員の宮坂清さん。3年ほど前にNHK総合テレビで放送されたバラエティー番組「ブラタモリ」諏訪編でタモリの案内人を務めたという。

 

 宮坂さんは星ヶ塔の黒曜石は「他産地のものよりも透明度が高い。硬くて鋭いから狩猟具の矢尻に最適」と話し、普通に見れば黒いかけらを太陽に透かして参加者たちに見せた。この透明さが東北地方から東海地方まで半径250キロ圏に広まった大きな要因ではないかと言う。

 

 衛星写真を基に施設の床面に描かれた日本地図で諏訪産黒曜石の分布を知り、星ヶ塔遺跡の採掘坑を原寸大で再現したジオラマを説明してもらい、現地見学に備えた。

 

 2階には考古イラストレーターとして知られる早川和子さんが入山から下山まで集団で活動する「採掘のイメージ」を描いた作品も説明された。当時は諏訪地域に人が住んでおらず、相手の遺跡の痕跡から「山梨県北斗市のムラから来ていたのではないか」と宮坂さん。

 

 旅館で昼食の弁当を食べ、星ヶ塔遺跡へ。国道142号から、何の目印もない山道に入る。ゲートの先はマイクロバスがやっと入れる道幅。カーブが続き、揺れと振動に耐えて上ること10分余り。終点には見上げる山の稜線以外に目印になるものはない。標高は約1500メートルという。

 

 獣道のような踏み跡をたどりカラマツ林に入る。宮坂さんが斜面を下り、くぼみになった所で「ここが採掘跡」と採掘場所の地形の特徴を説明した。

 

 小道を進むにつれて、黒曜石のかけらが散らばっているのが珍しくなくなった。「持ち帰りは厳禁」と言い渡されているので、手に取って透かして見るだけだ。品質が良くないため縄文人がほったらかしにされたものが、長い年月を経て土の中から出てきたらしい。

 

 ほぼ直線につくられた小道は調査した採掘跡の上でつづら折りになった。安全に歩けるようブラタモリ用に新設し、ウッドチップもまいたとか。

 

 採掘跡の発掘現場は縦横3メートル、深さ4.5メートル。流紋岩の下に幅約3メートルの黒曜石の岩脈があり、山の頂上へ向かい約200メートル続いているという。

 

 星ヶ塔は大正時代に初めて調査された。戦後も1度調査があったがほとんど忘れられ、1997年に宮坂さんが大きくくぼんだ地形からこの採掘跡を発見、発掘調査を進めてきた。