入院生活という非日常 私の脳血管手術

全身麻酔による手術を控え、真っ先に行われた点滴の準備

 頭の中の硬膜にある動脈の先っぽに詰め物をして静脈に直接つながる血を止めるという手術を行ってもらい、入院生活を8日間(10月4~11日)送った。

 

 50代に初めて経験した入院生活は3度目だが、今回ほど退院を待ち焦がれたことはない。入院に伴う好奇心がなくなり、ただただ不自由さへの不満が募り、脳という部位の病気が不安を増幅、あるいは我慢という自己防衛能力が不安や不満を心の奥底に沈殿させたようだ。

 

 例えばベッド。頭の中の手術なのに、大事なのは手術の入り口になった足の付け根の動脈から出血させないこと。「右足を動かさないように」と何度も注意され、食事時などにベッドの背部を上げるにも看護師にゆだねなければならない。

 

 ベッドのコントローラーが自分の手に任されたときは感激だった。感激は突然やってくる。尿道カテーテルが痛みなく抜かれたこと、看護師付き添いのトイレ行きながら病室の外に出られたこと、いきんでいきんであきらめかけて成功した4日ぶりの排便。

 

 だが、生活時間は圧倒的にベッド上が多い。ベッドの凹凸が不快に尻に当たり痛くなる、立ち上がった背部の角度がしっくりこない、枕が重い……工夫では改善できないのだ。入院経験があるという看護師も「病院のベッドは良くないわ」。

 

 「三食昼寝付き」「栄養バランスがとれていて、運動しなくても体重を減らせる」。そんな病院食への好ましさが、がらりと変わった。入院先が前回と同じせいだからかもしれない。

 

 トレーで“宅配”される食事には献立表が添えられているが、「野菜」とか「サラダ」と書いてあっても材料が具体的に何なのか、わかるのはニンジンぐらいのもの。

 

 見た目にも舌で味わってもわからないことが多い。葉も茎も見事に細かく、あるいは薄く刻まれ、それが少量で溶けかかっていようものなら…。最悪の患者を想定しての調理なのか。薄味は良しとするが。

 

 「果物」で、オレンジの果肉のつぶつぶが2~3個くっついて盛られていたのと、薄い台形の豆腐に肉みそをのせた「田楽」は、食材の姿が見えていて感激した。肉は細かなそぼろ状、魚は丁寧なほぐし身かペースト状だから。

 

 献立表は一辺が10センチ足らずの正方形の紙。食間の出来事や思いつきを記録するメモ用紙として使った。手術の翌日の昼食(配膳2回目)には「初完食。食べないと点滴外せないと看護師に脅され。」とある。

 

 今回の入院は不眠気味の夜が続き、悩まされた。昼間は眠らないようにし、午後10時の消灯後は携帯ラジオを聴くか、昔の流行歌をレコーダーで聴き、眠くなったらねむればいいさと暗示をかけたりしておっとり構えたのだが、どうにもうまくいかず、看護師に懇願して不眠症治療薬を三晩服用した。それでも、いつも2時間程度で目が覚めた。

 

 帰宅後は軽いウオーキングと入浴を取り入れた。4日目ごろ、ようやく目覚めても眠気が残り次の睡眠へ割とすんなり入っていけるようになった。この記事を書く意欲も出た。

 

 脳血管の手術は今回だけで終わらず、別ルートの動脈に同様の手術が必要となっており、来月早々に再入院する。不安、不満、気づきを吐き出した結果として、うまく自分をコントロールできればよいのだが。