茎にびっしりミニミニキャベツ 農業講座終わる

順調に育った芽キャベツの収穫作業。引き抜いて根を切り落とした

 西東京市谷戸公民館の独自事業「農業を知る講座」は2月14日、住吉町の畑で芽キャベツの収穫作業を行い、今年度の全日程を終了した。

 

 芽キャベツは昨年9月上旬に参加者1人に1株の割で苗を植えた。その後、追肥をしたり、一部生育不良の苗を植え替えたりして11月下旬、葉のつけ根に小さな脇芽ができたところで下部の葉を落とし、日当たりをよくして脇芽の成長を促した。定例日以外に班長らが出て追肥したこともあったという。

 

 栽培を指導した保谷隆司さんは「(球が)小さかったものも年明けから大きくなり、すべて収穫することができた」と喜んだ。

 

 30~35センチほどに育った芽キャベツは1本の太い茎に直径2、3センチのミニミニキャベツをびっしりと付け、その数は50個を超える。

 

 頂上部の葉を残して引き抜き、根を刈り込みはさみで切り落とした。多くの人がこの姿のまま持ち帰り、家族に見せるようだ。

 

 食べ方については、「シチューに入れる」「天ぷらにして塩で食べてもおいしい」「鍋物なら何にでも合う。沖縄の辛み調味料をつけると絶品」など情報交換の場も華やいでいた。

苦労も喜びも 農業体験5カ月の記録集できた

毎回の農作業の内容や感想などを収めた記録集

 西東京市谷戸公民館が主催する「農業を知る講座」のすべての活動をまとめた今年度の記録集が出来上がった。

 

 講座は主に、市内の一人の農業者が畑の一角を無償で提供し、毎週1回1~2時間、棚まきから施肥やマルチ栽培、収穫までの作業全般を指導する。環境問題など専門家の講義もあり、谷戸公民館独自の事業。

 

 新型コロナ禍に対応し、今年度は8月~12月と期間を短縮、募集人数も減らして大根、ニンジン、ブロッコリー、ホウレンソウなど14種類の野菜を育てた。種苗代など参加費は1千円。

 

 記録集はA4判、70ページ。各回、指名された参加者が作物や作業内容、感想などを書く作業日誌と講義の記録を中心に、アンケート結果、講義資料、農産物直売所リスト、レシピ集などを収めた。

 

 日誌は手書きでも文字入力でもよく、写真やイラストを挿入したページもある。

 

 「先週まいた種が芽を出し、これからも楽しみ」「ホウレンソウの種がなぜ青いのかを調べた。防除剤でくるまれ、大きさがそろうよう工夫されていることを知り驚いた」と生産活動での感動や気付きをはじめ、「班の中のコミュニケーションや信頼関係が高まり、楽しい経験になっている」と新しい人間関係を喜ぶ声も。

 

 約40部を作製し、参加者全員に配布する。

日中交流伝える展覧会 知見や成果語る

古代の日中交流をたどる中国・北京での展覧会を評価したパネル討論

 日中国交正常化50周年を記念し、奈良県と中国・清華大学が共同で昨年、北京の同大学芸術博物館で開いた「日中交流二千年 アジアをつなぐ美と精神」展。その成果などを語り合う記念シンポジウムが2月2日、東京・有楽町朝日ホールであった。

 

 展覧会には高松塚古墳壁画と法隆寺金堂壁画の精密な複製陶板や銅鏡などの考古資料が奈良県から約110件、遣唐使だった吉備真備が書いた銘文を刻んだ墓誌など古代日本にゆかりのある中国の文物約70件が出陳。

 

 9月下旬から70日余りの期間中に約1万6千人が訪れ、ライブ配信は23万人が視聴するなど好評だったという。

 

 シンポジウムでは荒井正吾知事ら主催者と在日中国大使館からの来賓があいさつした後、県立橿原考古学研究所の坂(ばん)靖主任研究員が展覧会の様子を動画で紹介。古墳時代の副葬品や6世紀の仏教伝来に伴う仏像・絵画などの資料と中国の文物が類似し、日中交流の長い歴史を知らせたと報告した。

 

 清華大教授で博物館常務副館長の杜鵬飛氏は基調講演の中で「『倭人』とはっきり書いた文物は中日交流の証し」と述べたほか、オンラインによる9回の学術講座に延べ193万人が参加したと公共教育面での効果の大きさを強調した。

 

 「日中交流の原点を探る」をテーマとするパネル討論では、「中国でもっと良いものが出る可能性がある」と期待する発言があり、荒井知事は「今度は奈良県で展開できたら」と意欲を示した。

あふれる個性 特別支援学校作品展

色彩や造形にみずみずしい感性を表現した作品群

 東京都内の特別支援学校に通う子どもたちの絵や版画などを展示した5部門作品展が2月2日~5日、池袋の東京芸術劇場で開かれている。

 

 都教育委員会と都特別支援学校文化連盟が主催する総合文化祭の一つで、造形美術、手芸・家庭、放送・映像、写真、職業・作業の5部門に70校が参加した。

 

 なかでも作品展にはほぼ全校が参加し、水彩画や版画、デッサン、立体作品などの出展は毎年3千点を超える。新型コロナ感染の影響を受け3年ぶりの開催となった。

 

 板橋区の都立高島特別支援校小学部3年の男子児童は、先生に手伝ってもらいながら、木の枝の短い輪切り十数個を約30センチの高さまでつなぎ合わせ、「いっぱい積んだよ」という題の立体作品を作り上げた。

 

 西東京市から来た祖父母は「家に遊びに来た時にはわからない成長を感じる」「ずいぶん頑張ったんだろうね」と孫の学校生活を想像していた。

遺構も復興も 濃密だった東松島日帰りバスツアー

震災遺構の旧野蒜駅プラットホーム。津波は線路も曲げた

70人が避難して命拾いした、高さ約30メートルの私設避難所「佐藤山」

 東京-仙台を日帰りで2月1日、宮城県東松島市の震災復興バスツアーに参加した。

 

 東日本大震災の被災地の復興状況を自分の目で確かめたいと考えていたところに、東北地方の経済団体がつくった「東北ファンクラブ」からメールで東松島バスツアーの情報提供があった。

 

 仙台駅発着で同市の野蒜(のびる)地区をピンポイントで訪ねる。売り文句の「震災伝承と復興による魅力」がそこに詰まっていそうな内容にひかれた。

 

 旅行日は10日あり、代金は昼食込み1万円。旅行代金は参加申し込みの後に国の全国旅行支援で2千円が戻り、土産や食事に使える2千円の地域限定クーポンが付くという望外の幸運に恵まれた。

 

 午前4時起床、大宮に至る3本の電車と新幹線の定時運行と胃に痛みにおびえながらも、午前9時前、集合場所の仙台駅東口観光バス乗り場に到着。「3.11伝承ロード」のロゴや東北地方の地図をラッピングした大型バスが待っていた。

 

 バスの座席表は2座席に1人で、催行人員ギリギリ16人の参加だった。私は8日を希望したが、後日旅行会社から「1日なら実施できそう」と電話があり、日程変更したのだった。旅行商品自体が不人気なのか、新型コロナの影響が長引いているのか。

 

 バスは高速道の仙台東部道路三陸自動車道を走り、1時間足らずで丘陵地の野蒜市民センターに到着。震災時の津波で家屋を流失した語り部防災士の山縣嘉恵さんが集団移転団地の造成の経過や被災地で大麦栽培が進んでいることなどを説明した。

 

 このあとバスに乗り、山縣さんのガイドで車窓から団地を見学。野蒜地区の全住民のほぼ半数の約1300人が集団移転したという。小学校、保育所、集会所、交番、クリーニング店などがあり、購買人口に足りなくてもスーパーが1店営業している。

 

 いったんセンターに戻り、私設避難所の「佐藤山」へ。震災前から津波避難所の必要性を感じていた地元の佐藤善文さん(88)が20年以上前に岩山を買い、階段やあずまやを整備し、70人の命を救ったという。

 

 山縣さんの説明を聞いているとき、佐藤さんがそばに来ていることがわかり、本人から詳しい話を聞くことができた。佐藤さんは「山には桜やモミジ、ユリもあり、海が見える。公園らしく整備して多くの人に楽しんでもらいたい」と話した。

 

 震災時にJR仙石線の下り列車が停止し、乗客の判断で車内にとどまっていたため津波被害を免れた「奇跡の丘」まで、佐藤山から歩いて行った。線路跡は遊歩道になり、列車の停車地点に説明板が立っていた。海からの高さは約10メートル。

 

 昼食は防災体験型教育施設「KIBOTCHA(キボッチャ)」で。1階が天井まで水没して廃校となった小学校だというが、被災の形跡は見当たらなかった。キボッチャは「希望」「防災」「未来(フューチャー)」を組み合わせた造語。

 

 午後は市の震災復興伝承館を訪ねた。旧野蒜駅を改修した施設で、復興の様子を記録した写真パネルなどが置かれ、壁の上部に津波の高さを表す線が引かれていた。2階には被災したままの傷だらけの券売機が残されている。

 

 住宅を次々と破壊する津波の威力や被災者インタビューを収めた映像を見て外に出ると、津波の力でグニャッと曲がった線路がプラットホームの下に見えた。プラットホームを中心に周辺一帯は復興祈念公園として整備され、モニュメント形式の慰霊碑と亡くなった人の芳名板が安置されている。

 

 行き帰りのバスからは、海が見えるように防潮堤を低くして道路を高くする工夫がよくわかった。人気の海水浴場があり、奥松島観光でにぎわう野蒜地区に「目隠し堤防」は似合わない。集団移転に伴うまちづくりと同じように、防災工事も行政と市民のよい関係があってこそなのだろう。

迫力!等身大の兵馬俑 上野の森美術館

始皇帝の絶大な権力を示す等身大の兵馬俑が並ぶ会場

 日中国交正常化50周年を記念した展覧会「兵馬俑(へいばよう)と古代中国-秦漢文明の遺産-」(東京新聞など主催、2月5日まで)を見に1月30日、東京都台東区上野の森美術館へ出かけた。

 

 閉幕が迫っており、相当の混雑を予想していたが、予約した午前11時30分~正午の枠は10分程度の待ち時間で入れた。

 

 展示の目玉である秦の始皇帝陵を守る等身大の兵馬俑群に行き着くには、まず2階を見てから1階に下りるよう、順路が設定されている。だから、2階会場には始皇帝の時代の前と後の展示物があって、時代構成がチグハグな感じは否めない。

 

 ともあれ、2階の会場入り口で音声ガイドの機器セットを600円で借りた。音声ガイドは薄明りで解説を読むよりも疲れないし、展示物に集中できる。メモもとりやすい。

 

 今回の場合、兵馬俑のほか青銅器や武器、文字資料など約200点が展示され、このうち見どころ中の見どころ21点を俳優谷原章介らが案内している。

 

 入場してまず目に入るのは高さ22センチの騎馬俑。戦国時代の長い混乱の中で小ぶりな兵馬俑が生まれ、統一秦で始皇帝の絶大な権力を反映する等身大の俑になることを暗示する。

 

 等身大の兵馬俑を見ずして、つまり秦の時代を飛び越えて再び小さくなった漢の時代の俑を見る。鉢巻きをして盾を持つ歩兵俑。腕が木製になり、よろいなどを見に着けさせる裸体の武士俑。ともに兵馬俑の3分の1のサイズだ。

 

 「統一王朝の誕生-始皇帝の時代」のタイトルの1階会場で観客を出迎えるのは4頭の馬が車を引く青銅製の「銅馬車」(複製品)。実物の半分の大きさだが、6千点の部品からなるといい、皇帝の威光を見せつける。

 

 その奥に等身大で精悍(せいかん)な顔つきの戦車馬とそれを囲む兵馬俑が8体。弓を引く立ち姿の兵士、歩兵を束ねる将軍(高級武官)などすべて国宝級の選りすぐりで、初来日のものもあるという。迫力を感じながら、ぐるりと一回りして見ることができる。

 

 この会場は写真撮影ができ、出口近くには兵馬俑群をバックに撮影できるスポットもある。

縄文遺跡群 世界遺産登録1周年でフォーラム

縄文遺跡群の世界遺産登録に携わった専門家が意見交換

 「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録1周年を記念する東京フォーラムが1月29日、東京・有楽町朝日ホールで開かれ、約700人が講演などに聴き入った。

 

 北海道、青森県秋田県岩手県と遺跡のある14市町でつくる縄文遺跡群世界遺産本部(本部長・三村申吾青森県知事)が主催。三村本部長は「世界遺産の価値と魅力を広く知ってほしい」とあいさつし、裏地に4道県の地図をあしらった背広を脱いで見せた。

 

 講演では、文化庁世界遺産を担当する文化財調査官の鈴木地平氏が、縄文遺跡群の世界遺産登録の意義について、「人類の知らなかった1ページを学べる。世界の人にもうれしいことだ」と述べた。

 

 縄文遺跡群世界遺産協議会長で三内丸山遺跡センター所長の岡田康博氏は自治体の結束や文化庁との調整など登録までの長く厳しかった道のりを振り返り、「遺跡は一つ一つに個性と価値がある。全部を見てほしい」と訴えた。

 

 最後に考古学など専門の立場から登録に向けて携わった2氏を加えて意見交換し、裏話を明かしたり、保全と活用について語り合ったりした。

 

 「現地でボーっとしているだけで気持ちよい」「出土品を見ると、自然と感動の声が出る」「風に吹かれ、過去と対話して」――締めくくりは、みんなが遺跡訪問への呼びかけだった。