ひばりタイムス「ニュースから撤退」を惜しむ

 西東京市を中心に周辺の自治体をエリアとする地域報道サイト「ひばりタイムス」が12月5日、「年内でニュース更新を停止する」と報じた。残念という言葉しか見つからない。

 

 ひばりタイムスの編集長、北嶋孝さんを初めて見かけたのは西東京市議会の傍聴席だった。私はそれ以前から、西東京市から発信する地域メディアの少ないこととその内容に不満を持っており、ネタの宝庫である市議会に足しげく通った。そして本会議だけでなく、委員会質疑もできるだけ聴いて新聞記事風にまとめ、ブログに上げていた。

 

 傍聴席には私と北嶋さんの2人しかいないことが珍しくなく、北嶋さんから私に話しかけてきたと記憶する。

 

 北嶋さんは私のブログを見たらしく、「新しいサイトを計画している。随時でよいので執筆の手伝いをしてもらえないか」と誘いをかけてくれた。

 

 それが10年前のことだ。私は何度もお断りした。記事を書いて発表する以上は、自分自身の十分な取材が必要なことはもちろん、校閲や編集(レイアウト)など他者との信頼関係も大切だ。その辺がよく見えない。「随時」と言ってもらっても、だらしない態度はとりたくない。

 

 あれから10年の年月を経て、ひばりタイムスは大手紙に伍(ご)して市長の記者会見に同席する位置を確保し、執筆にはメディア関係者OBや市民活動家などが加わり、近隣市のニュースや話題も増えた。

 

 私のブログといえば、市議会通いがめっきり減り、最近は市がホームページで公表する記者発表資料にも関心が薄くなり、個人的な生活記録と言うべき「日記」ふうのコンテンツが多くなった。コロナ禍の期間に脳血管の病気がわかり、手術や入院生活に伴う体力の衰えが地域ニュースを提供する使命感や気力に大きく影響していると思う。

 

 このような、つとめて私的な事情から、ひばりタイムスの「休刊」を惜しむのだが、「編集部の高齢化」「組織体制の未整備」「財政状況の悪化」「システムの老朽化」と北嶋さんが自ら指摘したサイト運営の課題はどれも重く、今日までのご健闘に拍手を送ってやまない。

さん喬が今年の締め 三鷹・落語会

2023年の三鷹の落語会を締めた柳家さん喬独演会の演目

 

 三鷹の落語会はこの人が今年のトリ。柳家さん喬独演会が12月2日にあり、昼の部に行った。

 

 プログラムの紙を開いてびっくり。小きち、小もん、小平太、さん助と4人もの名前が、さん喬の前に並んでいた。

 

 前の2人は前座と二ツ目、あとの2人は真打ちとあった。みな柳家を冠しているが、後半に出演した小平太だけは、さん喬の一門ではなかった。いずれにしても様々な個性を楽しませてもらった。

 

 さん喬は前半で「井戸の茶碗(わん)」、後半で「ちきり伊勢屋」を演じた。

 

 「井戸の茶碗」は、正直者のくず屋が長屋住まいの貧乏浪人から仏像を買ってくれと頼まれたことから始まる人情噺(ばなし)。おとぎ話の「わらしべ長者」を思わせ、ハッピーエンドが待っている。聴いたことのある噺なので話芸の巧みさをしっかり味わえるし、人情噺なのに笑って楽しめる。

 

 「ちきり伊勢屋」は、上演まで演目が知らされていないうえ、初めて聴くので、噺を追いかけるのと話芸の味わいの両方に集中力を傾けなくてはならない。「長い噺で前編だけで4時間かかるところを20分に詰めましょう」と言ったのに、終わってみたら1時間をちょい超えていた。

 

 本編に入る前に「ちきり」が物事を結びつける意味だと説明され、新知識を得た。占いに出た主人公・質屋ちきり伊勢屋の若だんなの死亡日時が私の誕生日だったことは、聴き逃しを許さないという役割を果たした。

 

 人の一生に、どんなに紆余(うよ)曲折があり荒唐無稽であったとしても、円熟の芸で行き着くハッピーエンドは後味がよく、心が軽くなった。

談春の独演会に酔う

 立川談春の独演会が11月25日、三鷹市公会堂であった。

 

 公会堂のホールはいつもの芸術文化センターの2倍ほど広く、格上の人気落語家に使われる。料金も高い。開演ギリギリに滑り込むと、案の定、約700の客席は埋まっていた。

 

 談春を聴くのは2度目。前回は1時間を超える長編「九州の吹き戻し」を聴き通せたが、この日の2席目「御神酒徳利(おみきどっくり)」も長かった。

 

 日本橋の旅籠(はたご)で、徳川家康から拝領したお神酒徳利が大掃除の日になくなったことに端を発し、二番番頭とその女房が生み出したインチキ占いが巻き起こす出来事がテンポよく語られた。

 

 師匠談志を思わせる絶妙な間のとり方や抑揚、先を読みやすい噺(はなし)の展開、そこに笑いのツボがほどよい間隔で埋め込まれていて、少しも退屈しなかった。

 

 独演会の名の通り、前半(「味噌蔵(みそぐら)」)と後半を談春一人で通した。終演後に客席と一緒に行った三三七拍子とともに楽しくも珍しい落語会ではあった。

見ごたえあった映画「ゴジラ」

 配役やストーリーなどほとんど予備知識のないままに、映画「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」を11月24日、練馬区東大泉に見に行った。

 

 シニア料金がいつの間にか1300円になっていたのには一瞬驚いたが、作品に没入でき、ときどき涙ぐまされ、満足した。

 

 神木隆之介浜辺美波はずいぶん前のテレビドラマで知り、いい役者だと思っていた。童顔のイメージが強い神木は特攻隊員として現れたときから、やや面長な青年の顔に変貌?していたが、本当の顔はどうなのだろう。

 

 浜辺はコミカルな演技が好みだが、今作のしっかり者もいい。安藤サクラ佐々木蔵之介山田裕貴吉岡秀隆もあらためていい役者だと思った。

 

 夫婦ではない神木と浜辺、浜辺と戦災孤児の女の子。3人が織りなす家族同然の情景が涙を誘う。

 

 戦後復興したばかりの銀座をゴジラが破壊するシーンはCGで丁寧に作られており、ゴジラの背中のトゲトゲも今までにないすごみがあった。

 

 ただ一つ、ゴジラの制圧に国家機関が一切顔を出さず、民間の手で行われたことには首をかしげざるを得なかった。

名木や緑道 小春日和を歩く

向台公園は木々が色づき晩秋のたたずまい

 西東京市西東京自然を見つめる会が設定した散策コースを歩く今年度最後の催しが11月22日にあり、25人が参加した。

 

 散策コースは1カ所あたり3~5キロで14コースあり、地域の歴史や地形、風景などが織り込まれている。この日は田無庁舎発着で約4.3キロの向台・緑道コース。

 

 参加者は庁舎近くの公園で準備体操をし、市の木50選のうち田無小学校のメタセコイア、阿波洲神社の柿、南町5丁目道路わきのふたまたケヤキの3本を見た。

 

 もとは屋敷林だったという向台公園はひんやりした空気の中にモミジが赤く、イチョウが黄色に色づき、「きれいね」の声が聞かれた。

 

 五日市街道との突き当たりから始まる狭山・境緑道(多摩湖自転車歩行者道)は沿道に畑の風景が残り、向台植物公園では市内で珍しい多年草のシモバシラを見て、小春日和のひとときを楽しんだ。

人それぞれ 80歳の壁

 国際男性デーの11月19日、朝日新聞社が主催する「健康フェスタ」が東京・丸の内の丸ビルであった。

 

 男性の健康を考える45分間のプログラムが4つあり、そのうちの「『80歳の壁』を前に」に応募して当選した。

 

 「80歳の壁」は精神科医和田秀樹さんの著作で、2022年の年間ベストセラー総合第1位。和田さんはステージでフリーアナウンサーの問いに答える形で食べ物や運動などのコツを話した。

 

 塩分や脂肪、甘いものは控えてと言われるが、食べる楽しみをなくしちゃいけないと肉の摂取を勧め、血圧は高い時の方が頭がさえるとか、本を読むなどこれから勉強するのはやめて今まで頭の中にためたものをいかに出すかが大事――と、ともすれば常識や前向きとされていた考え方に一石を投じた。

 

 逆説的な物言いは好ましいが、いかんせんテーマが大きいのに時間は短い。隔靴搔痒(かっかそうよう)、ときに誤解を招きかねない話もあった。私は体力に自信がなく地域参加できない後期高齢者という不安におののいているが、立ち直るヒントをつかめず残念だった。

 

 定員250人という会場は満席。60代、70代が多いように見えた。パリッとした身なりの内に悩みや不安を抱えて来たのだろうか。

知人が油彩を出展 都美術館で公募展を見た

少年時代の夏のひととき。この日も、ばあちゃんが真ん中にいた=油彩、F50

 東京都内の知人から公募展の案内状を受け取った。

 

 NPO法人日本芸術家協会が主催する「JAG展」(11月9日~16日)。寡聞にして知らない団体ではあったが、昨年も別の公募展に出品した知人が差出人だったので、11月13日、上野の東京都美術館へ出かけた。

 

 彼の今回の画題は「ばあちゃんと行った海」。日焼けしたおばあちゃんと手をつなぐ女の子、モンペの腰あたりをつかんで歩く男の子。これが彼か。親戚とおぼしき子どもたちも一緒。語らいながら浜辺の小道を海水浴場へ向かう夏のひととき。

 

 昨年の公募展で見た彼の作品は「ばあちゃんがいた正月」だった。おばあちゃんにかわいがられたんだなぁ。

 

 「アイスキャンデー5円」の旗をつけた自転車がすれ違い離れてゆく。時は昭和30年代初めだろうか。なにもかもがノスタルジックな情景だ。

 

 JAG展には油彩を中心に約150点が展示されている。知人は60歳の定年後に、絵画の道を見つけたという。のどかな世界をいつまでも描き続けて、と願う。