旧陸軍「秘密の研究」に息をのむ 明大・登戸研究所資料館

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 西東京市郷土文化会の8月例会は5日、旧陸軍の秘密研究所の一部施設を保存活用する明治大平和教育登戸研究所資料館(川崎市)で行われた。(写真は「陸軍の建立」を明記してある動物慰霊碑)
 
 この日も猛暑日が予想されるなか、14人が参加。小田急線向ケ丘遊園駅北口から出る明大正門前行きバスを利用した。団体見学(10人以上)を予約しており、男性の大学院生が資料館の展示室と生田キャンパス内の史跡を案内してくれた。
 
 資料館は、通称・登戸研究所(第九陸軍技術研究所)の施設のうち、暗殺用毒物や生物兵器などを開発していた第二科の建物で、2010年3月に開設された。5つの展示室と暗室などからなる。
 
 最初の部屋で、戦前戦後の5枚の航空写真や地形・建物のジオラマを見て研究所の全容をつかむ。それから、第一科が開発し米国へ飛ばした風船爆弾の模型、第二科の活動内容がわかる文書つづりの複製、中国の経済混乱などを狙った第三科製造の偽札、細菌などの培養実験に使ったとみられる暗室、本土決戦での細菌戦に備えたとみられる大量の「ろ過筒」などを見て回った
 
 戦闘の裏に隠されていた数々の秘密研究や謀略の証拠資料と解説に見学者たちは驚きを飲みこんだ。
 
 食堂館で昼食をとったあと、DVD「蘇(よみがえ)る登戸研究所」を見て史跡巡りへ。
 
 豚や牛の実験動物の霊を慰める立派な動物慰霊碑の裏側を見て、秘密の存在とされたはずなのに「陸軍登戸研究所建立」の文字がくっきりと彫られている不思議を感じる一方で、昭和63年に元所員らが建立した弥心(やごころ)神社境内の登戸研究所跡碑に「秘密は墓場まで」の呪縛からの解放を知らされた。
 
 この夜、日本テレビのニュース番組で、和紙をコンニャクのりで重ね合わせ風船爆弾の気球を女学校で作っていたという87歳の女性が取り上げられていた。女性は「当時は何を作っているのか知らされなかった」と話した。秘密はどこまでも秘密だったのだ。