歴史と自然と 北の丸公園を歩く

イメージ 1
 北多摩自然環境連絡会主催の「皇居周辺歴史散策」の2回目が1017日にあり、14人が北の丸地区の歴史と自然を楽しんだ=写真は千鳥ヶ淵

 皇居周辺散策を企画・案内したのは豊福正己さん。立ち寄り先の詳しい資料を作り、幕末の江戸城周辺の地図とともに参加者に配った。

 東京メトロ東西線竹橋駅に集合。竹橋1カ所をとっても、橋は江戸城ができる前からあり、現在の竹橋は江戸時代とほぼ同じ場所に架かる、江戸時代は主に大奥への通路だったようだ―と出発早々、話題は多い。

 桜と紅葉の時期などに限り一般国民に開かれる乾門(いぬいもん)を代官町通りの向こうに見て北の丸公園に入る。近衛師団司令部庁舎だったれんが造りの東京国立近代美術館工芸館の横を通り、千鳥ヶ淵を眼下に見る小高い遊歩道に出た。桜の季節に花見でにぎわうボート場側緑道の対岸。初めてこちら側に来た人は「緑が豊かで見晴らしも素晴らしい」と喜んだ。

 遊歩道の少し先に「怡和園(いわえん)」と彫り込んだ石碑が立つ。徳川御三卿の一つ、田安家の屋敷跡は皇居を守る近衛歩兵第一聯隊(れんたい)の兵営地となり、小庭園が造られた。その安らぎの場に「喜び和らぐ」という意味の「怡和」の名が付けられたという。

 北の丸公園は近代美術館工芸館に象徴されるように、明治以降の戦争と軍隊の歴史を遺し伝える物を数多く目にすることができる。工芸館そばの北白川宮像、怡和園碑のあとに訪れた近衛歩兵第二聯隊記念碑、第一聯隊記念碑、大山巌像、そして千鳥ケ淵墓苑―。

 一方で、里山の木々に滝の音、紅葉を待つヤマモミジの林や池と芝生の風景に癒やされる。紫色の斑点を散らして花盛りのタイワンホトトギス、赤い実をのぞかせる低木のトベラに足が止まる。

 天気予報で「東京」とされる気象観測地点、北の丸公園露場(ろじょう)に寄った。現時点の気象を示すパネルが午前11時半すぎ、気温は20度台、風速は1メートル台で、小数点以下が小さく上下していた。「快適」を数字が裏付けてくれた格好だ。

盛り上がった台地上に、フェンスに囲まれて観測機器が設置されていた。大手町の気象庁から引っ越して4年。観測値は、最高気温はほとんど変わらないが、最低気温は1度ほど低くなったという。

北の丸休憩所に近い大型のあずまやで弁当を食べ、日本武道館の前を通って田安門へ向かう。武道館の正面入り口には有名歌手・タレントらの花輪が多数並び、歌手和田アキ子の芸能生活50周年を飾る「WADA FES(ワダフェス)」の初日の準備が進んでいるようだった。

田安門の横から緩やかな坂道を上ると神社風の建物があった。警察と消防の殉職者をまつる弥生慰霊堂で、何度か遷座して戦後ここに落ち着いたという。田安門が、敵の兵力をそぐ桝形(ますがた)門であることが見渡せる。

田安門は江戸城の中で明暦の大火(1657年)以前から残る唯一の建物で、国の重要文化財。外からひとしきり眺め、靖国通り沿いに並ぶ常燈明台(じょうとうみょうだい)、品川弥二郎像、大山巌像を見て、左の千鳥ヶ淵緑道に入った。緑道は桜の季節とは打って変わって人通りがなく、外国人観光客を時折見かける程度だ。

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、先の大戦で海外で亡くなり、遺族に引き渡すことのできない邦人の遺骨を納める。翌日の秋季慰霊祭の準備がほとんど終わっていた。六角堂で何人かがひと足早く菊の一輪を献花した。

近くに、祖国への引き揚げに伴う死没者を悼む平和祈念碑と旧ソ連による強制抑留者のための追悼慰霊碑が建つ。二つの碑は2010年建立と比較的新しく、六角堂への入り口を通らない道の先にあるので見落としやすい。

緑道のもう一方の起終点となる内堀通りに出て、半蔵門付近で解散した。半蔵門は皇居周辺で最も標高が高く、豊福さんの最後の説明は「堀の水はここで分かれて南と北に流れる」だった。(下の写真は自然豊かな遊歩道、江戸城の遺構・田安門)
イメージ 2イメージ 3