17世紀の開拓地 所沢・三富新田を行く

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 西東京市ウオーキング協会の2月例会は26日、埼玉県所沢市の三富(さんとめ)開拓地割遺跡などを見る約12キロのコースで行われた=写真

 三富は、所沢市中富(なかとめ)、下富(しもとめ)と三芳町上富(かみとめ)の総称。江戸時代の17世紀末に新田開発が始まり、短冊形の地割跡を今に残す。

 例会には34人が参加。西武新宿線航空公園駅東口を午前9時40分ごろ出発し、中富民俗資料館で農具や食器などの生活用具などを見学。

県道126号に出て、衣料品店ワークマンの角を曲がると北西に畑が広がる。中富地区だ。道路の近くにいた農家の中年男性に聞くと、10代目の当主と言い、「1戸当たりの地割は当初、間口約60メートル、奥行きは1100~1200メートルだったが、一部に誤って伝えられている。昔は作物が十分に取れず、晩婚が多かったようだ」と話してくれた。

三芳町上富との境の道路を北西に進み、ボタンの名所という多聞院に立ち寄った。庭にはフクジュソウとキバナセツブンソウ、終わりかけのロウバイと黄色い花ばかり。毘沙門堂を何重にも取り巻くように並べられた、トラを模した小さな置物の「身代わり寅(とら)」も鮮やかな黄色だった。

毘沙門堂隣の神明社境内の雑木林で弁当を食べた後は、砂川堀雨水幹線の沿道から富士見公園ニュータウン通り、所沢北高横などを経て午後2時30分ごろ、新所沢駅東口で解散した。(下の写真は多聞院毘沙門堂と奉納された大量の身代わり寅)
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