埼玉・所沢 晩秋の小手指ケ原古戦場~狭山湖を歩く

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狭山湖の歴史を学び、景色を楽しむ参加者たち


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人工増殖されている絶滅危惧種のミヤコタナゴ=所沢市埋蔵文化財調査センター

 市民有志でつくる北多摩自然環境連絡会の第3回ウオッチングが11月25日にあり、10人が埼玉県所沢市西部の古戦場や狭山湖(山口貯水池)をめぐり、晩秋の一日を楽しんだ。

 

 西武池袋線小手指駅南口を起点に、大まかには南へ向かい、西武山口線西武球場前駅を終点とする約7キロのコース。所沢市が発行するパンフレット「ウォーキングナビ」西エリアのおすすめルートの一つだ。

 

 小手指駅から線路沿いの道を進むと左側に桑畑が広がる。今なお続く養蚕の営みを想像して旅情のスイッチが入る。このあたりからバイパス国道463号に出るまでだだっ広い畑地帯を行く。小手指という地名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が小手をかざしたなど諸説あるが、一面の原っぱだったことで小手指ケ原の名が付いたことは容易に想像できる。

 

 国道を横断して旧鎌倉街道を南下し、市立埋蔵文化財調査センターに立ち寄った。旧石器時代からの出土品よりも国の天然記念物で絶滅危惧種の淡水魚ミヤコタナゴの展示水槽に足を向ける人が多い。

 

 ミヤコタナゴはコイの仲間だが、大きいものでも体長6~7センチほどで、ひれがほんのりと赤い方がオス。ここで人工増殖し、市内の小学校や市民ホールなどで飼育展示しているという。

 

 センターの近くに、新田義貞が鎌倉攻めで幕府軍と戦った地であることを示す小手指ケ原古戦場の碑と、新田軍が源氏の白い旗を掲げて陣を張ったとされる白旗塚があった。古墳にも見える小高い白旗塚に登ったが、頂上に史跡らしいものは何もない。かつてここにあった白旗塚碑と小さな石造の祠の浅間神社は、この後訪れる北野天神社の境内に移されていた。

 

 北野天神社、藤森稲荷神社を経て、大規模太陽光発電施設「メガソーラ所沢」の見学台で昼食の弁当を食べることになった。施設は、一般廃棄物の最終処分場を埋め立てた上に太陽光パネルを4千枚余り敷き詰め、市が運営、売電している。260世帯分の電気を賄える発電量と説明されていた。施設と向かい合う林地はトトロの森になっている。

 

 腹ごしらえを終え、15分ほどで狭山湖をのぞむあずまやに着いた。雨上がりの湿った空気がまだ残っていて、富士山は見えず、対岸の紅葉はにじんでいた。ただ岸に近い湖面で、カワウと思われる黒い水鳥の群れだけが動いていた。

 

 堤体の上の通路に人影は少なく、気兼ねなく歩ける。所々に設置された説明板でこの人造湖の歴史を学んだり、西洋風の取水塔を眺めたりして退屈しない。同じ東京の水がめでも、南側の多摩湖(村山貯水池)に比べると、狭山湖は来る機会が少ないと話す人がいた。

 

 狭山湖からは、プロ野球埼玉西武ライオンズが必勝祈願する狭山不動尊(狭山山不動寺)、行基菩薩が開いたと伝わる山口観音(金乗院)と二つの寺の境内を歩いた。山口観音では本堂前の左右の石灯籠の上にネコが鎮座していて、何人かの被写体になっていた。

 

 山口観音の参道を出ると、ゴールの西武球場前駅は目の前。ただし、現在の球場名は「メットライフドーム」。狭山湖では屋根の上部が小さく見え、「あんなに遠くまで歩くの」と気弱な声を発した人も元気を回復した様子だった。