この中で亀田さんは、人口20万人に迫る市民に西東京市への帰属意識が低いのではないかと指摘。その理由として、2001年の合併以前の保谷市が上保谷村、下保谷村、上保谷新田、下保谷新田、田無市が田無村と田無新田と、それぞれに異なる歴史と文化を持つ共同体であったこと、さらに両市の合併前後も他の自治体から移住した人が多いためと分析した。
例えば、石の卒塔婆といえる板碑(いたび)の文字からは市北東部の下保谷は日蓮宗、隣の上保谷(谷戸)は真言宗であったことがわかる。住民は前者が練馬(小榑<こぐれ>村)方面から、後者は東久留米や新座などの北から入ってきたという。新田開発は別々の3地域で享保の時代から進んだ。
こうした背景を踏まえ、亀田さんは「新しい『ふるさと意識』の創生が必要」と強調した。ふるさと意識を高める手段の一つとして文化財の活用を提案。その土地独自のもので、その土地の歴史を語る文化財は「シンボル化しやすい」との考え方だ。市内に文化財は現在、国指定が玉川上水と小金井桜の2件、東京都指定が田無神社の本殿・拝殿の1件、市指定が49件、国登録が1件ある。
また、3万年前(旧石器時代)から祖先が住んでいたことがわかり、約5千年前(縄文中期)には関東で有数の規模を誇っていた集落の跡「下野谷(したのや)遺跡」(東伏見)は、国史跡や都指定史跡のレベルの価値があり、「立派な西東京ブランドになる」と話した。