28日から定例市議会 焦点は庁舎統合方針の大幅見直し

f:id:amullar:20210601011309j:plain

耐久力調査費が盛り込まれた田無庁舎。統合庁舎建設の行方を左右する


 西東京市議会の第2回定例会は5月28日から開かれる。池沢隆史市長が2月の市長選で初当選して間もないことから4-6月は暫定予算が組まれており、今議会に出される予算案が新市長色の強い本格的なものとなる。

 

 幅広い分野の行政サービスにつかう一般会計の今年度の予算総額は前年度当初比4.9%減の722億3千万円。減額は中原小学校の校舎などの建て替え事業完了によるところが大きい。

 

 金額は小さくても大きな論議に発展しそうなのは、田無庁舎の耐久力調査の費用として盛り込まれた約660万円だ。

 

 池沢市長は3月の第1回定例会の所信表明で、統合庁舎の建設について「一度立ち止まり、行財政基盤の強化を図る必要がある」と述べた。さらに質疑の中ではデジタル化の進展、国や東京都からの権限移譲、市民ロビーなどのサービス需要などを理由に加え、2016年12月に策定した「庁舎統合方針」の機能、規模、建設時期、位置と大幅な見直しを表明した。

 

 今回の一般会計予算案に約1億1600万円を計上し、2カ年かけて解体する保谷庁舎の敷地活用についても、民間事業者に敷地を有償貸付する官民連携事業(2029年度まで)でにぎわいをつくり出すという基本方針を「あらためて整理したい」とした。

 

 現行の庁舎統合方針は、中央図書館・田無公民館の合築複合化案が途中で消える一方で、「市中心エリアで新たな用地」とされた建設場所に「現在の庁舎敷地」が候補地に加えられるなど曲折を重ねてきた。

 

 田無庁舎の耐久力調査ではコンクリートの状況や強度、鉄筋の腐食状況の調査などが予定され、この結果を踏まえて統合時期(現行2033年度)や位置を含む庁舎統合方針の見直しへと進む見通しだ。

 

 所信表明以後、池沢市長の考えがどう整理され、新たな展望は示されるのか。施政方針と代表質問、予算特別委員会での議論が注目される。

<西東京市議会>市長、定例会冒頭 選挙ビラ問題で発言へ

 池沢隆史市長は5月25日に開いた市議会の議会運営委員会で、28日から始まる第2回定例会の本会議冒頭で、「市長選の法定ビラ第2号について発言したい」と述べた。

 

 このビラは2月7日に投開票された市長選で、初当選した池沢氏の陣営が選挙戦の終盤に配布された。片面には対立候補で元神奈川県逗子市長の平井竜一氏について、「逗子での失敗のリベンジは厨子でやってください。ここは西東京市です」と大書され、裏に市長時代の財政危機に関する新聞記事が引用された。

 

 平井氏の支持者らはビラの内容が違法だとして2月下旬、市選挙管理委員会に選挙の無効を求める異議申し立てをしたが、同選管は大勢の有権者の判断を妨げるほどではないなどとして棄却した。

 

 また3月1日の臨時会では、池沢市長とビラを出した確認団体との関係やビラの内容の事前の認知などについて緊急質問が相次ぎ、市長は繰り返し謝罪。朝日新聞によると、「市民の皆様に何らかの形で私から謝罪する場を考えたい」とも述べた。

 

 定例会での発言申し出は議運委員長から議長に伝えられる。市長が何を語り、どこまで踏み込むのか注目される。

 

【追記】6月3日

 池沢隆史市長は第2回定例会初日の5月28日、本会議の冒頭発言を求め、2月の市長選で自陣営が市中に配布したビラ問題で、「平井竜一候補者をはじめ、支援されたみなさま、不快に思われた市民のみなさまに心よりおわびを申し上げます」と述べ、謝罪した。

 

 今後、ビラを発行した確認団体に対し、「自分の意見、考えをしっかりと伝えたい」とも述べたが、具体的な内容には言及しなかった。

 

 市長選で池沢氏を推薦した自民党会派の稲垣裕二氏は31日の代表質問で、市長が謝罪発言をした理由をただしたが、「これまでに団体や個人の方々とお会いする中で頂戴した様々なご意見を重く受け止めた」と答えるのにとどめた。

 

五輪、コロナも笑いの枕 白酒・兼好二人会

 桃月庵白酒三遊亭兼好の二人会(5月16日、三鷹市芸術文化センター)を楽しんだ。二人の高座を見るのは初めて。声の通りが素晴らしく、それだけで安心して噺(はなし)にのめりこめた。

 

 1席目は白酒が先番。東京五輪の開催をめぐる賛否の動きに「どうでもいい」と距離感を見せ、「噺家だって、江戸時代からあってもなくてもよかった」。

 

 このへんのマクラから演目を推察できるのはかなりの落語愛好家だろう。噺家という「商売」から昔の運送業につなげ、みそだるを載せて逃げ出した馬を馬方が捜す「馬の田楽」へと滑り込んでいく。

 

 噺家はふだんからよく笑い、高座で失敗しても反省しない。兼好はこんな楽屋話を交えながら、だから噺家はストレスがなく、免疫力も高まるので新型コロナにかかっても重症化しないと笑わせる。

 

 お気楽さは、いくつかの伏線を経て本編「ちりとてちん」へ。旦那の誕生日のごちそうの一つ一つをほめちぎり、お世辞たらたらで食べる男。次に招かれた男は、何もかもに「本場に住んでいた」とうんちくを傾ける。この知ったか男、仕組まれたとは知らずついには腐った豆腐を食べるが、もだえ苦しむさままで一連の飲み食べる表情としぐさは「見せる芸」として高い熱量を放っていた。

 

 中入り後の2席目は兼好が横浜のニシキヘビ騒動をマクラに「蛇含草(じゃがんそう)」。白酒は、芝居好きの小僧が仕事をさぼって芝居見物をし、お仕置きで蔵に閉じ込められる「四段目」を演じた。

 

 白酒の四段目は、忠臣蔵の四段目の内容を知らなかったことから語りについていけず、オチの爆笑に加われなかった。それでも、何列か前の男性の広い背中が笑いで大きく揺れ動いているのを見て、きょう1日の満足感を覚えた。

自然の風景そのまま「博物館」 狭山丘陵北西部を歩く

f:id:amullar:20210430223600j:plain

水田が復元されている糀谷八幡湿地

f:id:amullar:20210430223746j:plain

水田跡にアシが生い茂る大谷戸湿地

 北多摩自然環境連絡会の今年度第1回の観察活動が4月28日、埼玉県入間・所沢両市にまたがる狭山丘陵であった。

 

 西武池袋線小手指駅南口から宮寺西行きの西武バスに乗り、糀谷(こうじや)バス停で下車。森や生きものなどの自然そのものを展示物とする「さいたま緑の森博物館」を巡り、同じ路線の堀之内バス停から小手指駅に戻る、徒歩区間約5キロのコース。

 

 新型コロナウイルスの感染防止を考えて講師の豊福正己さんが行程を作り、6人が参加した。

 

 糀谷バス停から少し先を左折し、なだらかな坂を上ると八幡神社があり、境内を下りると、そこはもう「博物館」区域の八幡湿地だ。スギの枯れ葉で作られたトトロが駐車場の隅で出迎える。

 

 湿地は、雑木林の下で一部が水田に復元され、里山の風景を再現している。湿地の外周を回り、案内標識に従って森の細道を大谷戸湿地方面へ。

 

 クヌギやコナラの若葉は曇り空の下でも森の中を明るく見せており、ウグイスなど野鳥のさえずりはさえて聞こえる。

 

 丘陵の自然そのものが博物館とはいえ、休憩所や展示室(多目的室)を備えた施設が「案内所」という名前で建てられている。ここで弁当を食べ、すぐそばの大谷戸湿地を一周した。

 

 途中、トンボの湿地は、シオカラトンボより少し小さいシオヤトンボや大型のヤンマが飛び交う。大谷戸湿地には水田は復元されておらず、若いアシが生え放題になっていた。

 

 いったん狭山湖外周道路に出て、別の車道を比良の丘へ向かう。この丘は所沢市で標高が最も高く、155メートル。頂上付近に木が1本だけ立っていて、ウワミズザクラだという。「『ウワズミ』と間違えそう」などとしゃべりながら、樹下のベンチで一休み。

 

 ウワミズザクラは、葉の形こそサクラだが、白い花を集めた花序はコップを洗うブラシのよう。花の盛りは過ぎていたが、まだ元気な花序があり、私もカメラを向けた。

 

 比良の丘からは金仙寺(こんせんじ)、中氷川神社に立ち寄った。金仙寺の境内では、満開の時期ならさぞかしと思わせる樹齢約150年というしだれ桜を見上げた。

 

 サクラの季節は過ぎても、森のあちこちでヤマツツジヤマフジが花を咲かせ、案内所近辺ではニリンソウカントウタンポポが群生して咲き誇っていた。期待以上の癒やしをもらい、生命のたくましさをあらためて教わる一日となった。

佐藤可士和さんが語るクリエイティブな仕事の一端

f:id:amullar:20210415223518j:plain

佐藤可士和さん=朝日新聞ライブ配信画面から

f:id:amullar:20210415224252j:plain

オンラインイベント「佐藤可士和×元担当編集者 クリエーター夜話」の配信画面

 ユニクロ楽天、T-POINTのロゴをつくったのが同じ人物、佐藤可士和(かしわ)さんということを最近になって知った。この人の個展が東京・六本木の国立新美術館で開かれていることを報じる新聞記事を何度か目にしたからだ。そんなところに、個展の主催者の一員である新聞社から、彼のトークイベントをオンライン配信し、無料で視聴できるとの案内メールをもらい、少しばかり深入りすることにした。

 

 出演は佐藤さんと、佐藤さんの著書を担当した日本経済新聞出版社の元編集者、佐藤さんの連載コラムを担当した朝日新聞の元編集者の3人。4月12日午後8時から約1時間20分、ライブ配信された。

 

 佐藤さんの肩書はクリエイティブディレクター。デザインや広告の世界にいるか展覧会を見ていないと理解できないというやりとりはほとんどない。「展覧会を見て『私にも描けそう』と言ってもらえるのは、僕にとって褒め言葉。瞬時に理解できたということですから」と佐藤さんは話した。

 

 だが、思いつきだけでポンと生まれる作品はない。例えば、ロゴにも設計図がある。アイデアの最初は感覚的なものだが、途中から数値を使い、きれいな比率になるようにする。大小で違いがあってはならない。色は形よりも感覚的だが、濁りのない強い色にする。明快な色は再現性が高く、プログラムで運用できる。「微妙なところで勝負しない」と潔い言葉を聞くと、コロナ禍でリモートワークを進め、今やオフィスからパソコンさえもなくしたことも納得できる。

柳亭市馬を聴く 三鷹で独演会

 柳亭市馬の落語を初めて聴きに行った。4月3日午後、三鷹市芸術文化センターで開かれた独演会。新型コロナ対策で前後左右の座席を空けて「満席」だった。

 

 「落語は初めてという方にもお勧めしたい、柔らかな語り口」という財団のチラシに誘われ、2月も終わろうとする日のチケット発売から10分後にインターネットでゲットできた。

 

 番組は前座の柳亭市松、二ツ目の柳亭市弥と一門の弟子に続いて市馬師匠が「花見の仇討(あだうち)」を演じた。仲入り後の演目は「茶の湯」。

 

 市馬の第一印象は、その美声だ。ツヤがあって通りがよい。温和な表情が一転、まずい茶を飲むときの顔芸には身を乗り出して見入った。それでいて、語りにもしぐさにも品がある。正統派の落語家と言われるゆえんか。

 

 弟子をネタに笑いを取ろうとしないところに、落語協会会長に推される人望も感じられた。3月には芸術選奨の大衆芸能部門で文部科学大臣賞を受けた。

 

 出し物はいずれも古典落語の名作とされ、長屋の住人が巻き起こす、あるいは巻き込まれることも共通している。名人級の落語家はその日の客席を見て演目を決めるというが、はたしてどうだったのか。

 

 この日の悔いは、花見の仇討のオチに出てくる「六部」の意味がわからず、客席の笑いに参加できなかったことだ。

戦国時代の城跡から新時代の巨大建築物へ 所沢東部を歩く

f:id:amullar:20210328221654j:plain

江戸後期の大庄屋の居宅で重要文化財の「黄林閣」

f:id:amullar:20210328222225j:plain

巨石を想像させる「角川武蔵野ミュージアム

 市民団体・北多摩自然環境連絡会の観察活動「ウオッチング」が3月25日、埼玉県所沢市の東部地域で行われた。

 

 新型コロナウイルスの感染防止のため、本年度は人が密にならないことを見込んだ狭山丘陵散策シリーズが企画され、4回目のこの日が最終。

 

 緊急事態宣言が解除されて間もないせいか、参加は6人と少なめ。コースはJR武蔵野線東所沢駅を発着点として、所沢市が作ったパンフレット「ウォーキングナビ 東エリア」のモデルコースを短縮した約10キロ。

 

 東所沢駅から20分ほど歩いた坂の下に白く大きな観音像の背が現れた。真言宗東福寺だ。境内の高台からは柳瀬川に沿う桜並木が細い帯のように見えた。手前にかけては河岸段丘を示す地形、川の向こうは清瀬市ということだった。

 

 畑の道路側に野生化したムスカリの小群落を見つけたり、滝の城址公園の入り口付近でいつ来るかしれない花見客を待つ三つの露店に同情したりしてから、園内で早めの昼食をとった。

 

 午後の部は正午出発。つづら折りの階段を上り城山神社に着く。社殿前の広場が「滝の城」の本丸跡で、眼下に公園の野球場、その向こうに武蔵野線の高架など眺望が楽しめる。

 

 滝の城址は、戦国時代の城郭跡で、後北条氏支配下にあったが、豊臣秀吉の小田原攻めによって落城したという。神社の裏に回ると「四脚門跡」の説明板があり、足下に見える空堀に引橋を架けてあったとみられる。三の丸跡を経て、昔は外郭だったとされる住宅地に出た。

 

 県道179号に出て関越道を下に見て進むと国道463号(浦和所沢バイパス)にぶつかる。バイパスを渡ると右手に広場と長屋門が見えた。一部が国の重要文化財になっている「柳瀬荘」へは、この広場から狭い坂道を上っていく。

 

 この日の一行もまち歩きの達人ぞろいだが、柳瀬荘は知らないようだった。一般公開されるのは週に1回だけ。それが今日、木曜日だ。

 

 坂が終わると、かやぶき屋根の立派な古民家が現れた。重文の「黄林閣」。江戸後期に大庄屋の住居として東京都東久留米市柳窪に建てられたと聞いていたから、北多摩の住民として親近感を覚える。主屋の西に書院造りの「斜月亭」と茶室の「久木(きゅうぼく)庵」が連なる。

 

 柳瀬荘は、明治から太平洋戦争の戦後復興まで電力事業に情熱を注いだ実業家、松永安左エ門の別荘で、戦後まもなく東京国立博物館へ寄贈された。黄林閣の土間では、管理人が施設の維持管理が難しい実情や松永を巡るエピソードを披露。みんな真剣に聞き入り、次々と質問した。管理人の話では、ボランティアの人たちが整備を進める山林の遊歩道が年内に開通できそうという。

 

 柳瀬荘では想定外のほぼ1時間を費やしたため、東所沢駅方面へバスを利用する話が出たが、近くの停留所からは1時間待ちの可能性が高いことがわかり、当初の予定通り徒歩で「ところざわサクラタウン」へ向かった。

 

 サクラタウンは東所沢駅から北へ徒歩10分、所沢浄化センター跡に昨年誕生した大型文化複合施設。出版大手のKADOKAWA(東京)が建設、運営する。6階建てのビルにイベントホール、商店街、食堂、ホテルなどをそろえた。別棟で、図書館と博物館、美術館を融合した「角川武蔵野ミュージアム」、祈りの場の神社もある。

 

 このうち中核を担う角川武蔵野ミュージアムは建築家の隈研吾さんが設計し、内部には高さ約8メートル、360度本棚に囲まれた「本棚劇場」など見どころが多いようだ。しかし、建物そのものだけでも見ごたえは十分。高さ30メートルを超え、地を割って出た巨石をイメージさせる外観は花崗岩(かこうがん)の板材2万枚で覆われているという。

 

 角川武蔵野ミュージアムは外観を見るだけ、複合施設はKADOKAWA直営の書店「ダ・ヴィンチストア」に立ち寄るだけとあり、「朝からここ1カ所でよかった」と冗談めかした声も。「日本最大級のポップカルチャー発信拠点」をうたうところざわサクラタウンが新名所になるか、気にかけていたい。