玉川上水フォーラムに160人

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 「多摩と玉川上水」がテーマのフォーラムは6月8日、武蔵野市の武蔵野スイングホールで開かれ、郷土史愛好家など約160人が参加した。
 小金井雑学大学、東京雑学大学の二つのNPO法人が実行委員会をつくり、東京市町村自治調査会の助成を得て、年1回、一般市民を対象にフォーラムを開いている。
 3部で構成され、第1部は日本社会事業大学理事で落語家の三遊亭大王こと渡邊一雄さんが落語の歴史や江戸と上方落語の違いなどを交えながら小話を披露した。
 第2部ではNHK大河ドラマなどで時代考証を担当した東京学芸大教授の大石学さん=写真左=が「多摩と江戸」、東大和市文化財専門委員の安島喜一さん=同右=が「玉川上水・野火止分水口の夢」と題して講演。大石さんは、江戸は日本の首都であり、多摩地方は江戸の生活機能を支える後背地、今でいう首都圏だったと述べ、多摩と江戸を切り離して異質性を見るのでなく、一体の関係として考える視点を強調した。
 安島さんは玉川上水とそこから分水された野火止用水を研究して二十数年になるが、最新の成果を得ても「多くのなぞ解きが進まない」と事例を話した。野火止新田の開発は玉川上水の開削を見越してもくろまれたのではないか。野火止用水は村々の農民が利用できないのに10年に1度、大がかりな川ざらいをしなければならなかったのはなぜか。玉川上水完成の約140年後に野口村(現東村山市)名主が役所に提出した玉川上水に関する覚書は、名主が村人と対立していた事情などから記述の中身を割り引いて考えるべきではないか――。 
 第3部は、会場からの質問への回答を含めて対談が行われた。大石さんは「約260年に及ぶ江戸時代が戦争をせずに発展し、その首都機能を多摩が支えたことは、文明の行方が問われている今、世界に発信するよい機会だ」と締めくくった。