東京・中野区 沼袋~野方 史跡巡る


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 西東京市ウオーキング協会の5月のミニウオーキングが3日、東京都中野区であった。38人が参加し、西武新宿線沼袋駅から隣の野方駅までの史跡を巡った=写真は清谷寺の百観音霊場。

 沼袋駅北口に集合し、午前950分ごろ出発。最初の目的地、禅定院(ぜんじょういん)へは徒歩6、7分。

 山門の大イチョウが印象的だ。見上げると、若葉がつくる巨大な緑のぼんぼりが天を覆う。一人が胸元の幹に手を回した。「大人4人が手をつないでも足りないかな」という太さ。ボタン庭園を回ると、晩生の黄色い花のものが、今が見ごろと咲き誇っていた。

 庭の門から出て、明治寺(めいじでら)へは3分ほど。本堂を参拝して境内の「百観音霊場」に入る。霊場内での写真撮影は禁止。

 西国・坂東・秩父を合わせた百観音は、明治天皇のご逝去をきっかけに建立が始まった。この霊場を巡拝すると本場を巡礼したのと同じ縁が結べるとされ、現在は170体余りの観音像がある。

 沼袋駅西側の踏切を渡り、妙正寺川に架かる橋を渡ると、刑務所跡に造られた区立の「平和の森公園」だ。小休止を取った後、住宅地の道を何度も曲がって清谷寺(せいこくじ)に着いた。本堂の外の隅に「十三仏板碑(いたび)」が立つ。

 板碑は死者を追善供養するための平たい石の塔婆(とうば)。梵字(ぼんじ)で十三仏を刻んだ室町時代初期のもので、区指定の有形文化財。住職は「先代の時、雨ざらしになっていたこともあり、売ってくれと持ちかけられたが、都に調査してもらった結果、売らないことにした」と話した。

 最後の目的地「二十三夜碑」は寺から近い三差路にあった。。「二十三夜」は陰暦で23日の夜、念仏を唱えたり飲食を共にしたりして月の出を待ち、無病息災を祈る行事。この辺りで疫病が流行し、祈禱(きとう)師から碑を再建するよう告げられた人たちが昭和初めに建てたらしいことが、説明板に書かれていた

 碑の隣にある祠(ほこら)には庚申(こうしん)塔と地蔵尊が納まる。それぞれに「享保」と「延享」の建立年が彫られているというが、宅地化や道路整備で一カ所に集められたのだろうか。

 この日、都心は最高気温が25度と大型連休中で一番の暑さとなったが、体に大きなダメージを受けた人はなく、3キロ余りを歩いて午前1140分ごろ、野方駅南口で解散した。
(下の写真は、黄色いボタンが見ごろの禅定院、十三仏板碑のある清谷寺、二十三夜碑などが集まる三差路)
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