妙法寺から大宮八幡へ 東京・杉並区を歩く

蚕糸の森公園。大滝の前でスズカケノキを見上げる

妙法寺の書院前の鉄門は国の重要文化財

 毎日新聞旅行(まいたび)のツアーに初めて参加し、10月15日にJR中央線中野駅から京王井の頭線西永福駅まで約5キロを歩いた。

 

 専門講師が同行して解説するというテーマ性を持つ日帰り旅。対象地域が自宅から近く、興味ある立ち寄り先がいくつかあること、ツアー料金が昼食付きで8800円と高くないことから参加を申し込んだ。

 

 参加者は総勢17人。イヤホンガイドをセットして午前10時、中野駅南口を出発。北口に回り、デッキ広場に立つ。眼前には見納めになるかもしれない中野サンプラザ、振り返ると南口側も高層の再開発ビルが建設中。

 

 駅周辺一帯は5代将軍、徳川綱吉が犬小屋を造らせ、広さは5区画合わせて東京ドーム21個分、収容は10万匹を超えたというが、中野区役所前の「犬の像」を見ても、とても想像ができない。

 

 区役所の西隣にある中野四季の森公園では花と緑の祭典が開かれており、花鉢や地場野菜を並べた出店がにぎわっていた。ここや明治大学中野キャンバス、帝京平成大学中野キャンバスのある一帯は陸軍の施設用地。戦時中はスパイを養成する陸軍中野学校があった。

 

 駅の南側に戻り、今では面影がない大名山、下水幹線の上の桃園川緑道出入り口、水田の中にあったという田中稲荷神社、天保年間に建った拝殿が残る高円寺天祖神社を経て、午前中の終わり蚕糸の森公園へ。

 

 このコースからは中野区と杉並区の区境はわからないが、緑道入り口あたりから杉並区になるようだ。

 

 蚕糸の森公園は養蚕の最先端技術を研究していた国の試験場の跡地で、青梅街道に面した旧正門などに面影を残す。大滝の前でスズカケノキの巨木の説明を聞き、わずかに色づいたモミジなどを見ながら池を一周。

 

 公園に近い和風ファミリーレストランで食事をとり、午後1時出発。妙法寺は「厄よけ祖師」として江戸庶民の信仰を集めたという。山門(仁王門)や、後ろに本堂を置く祖師堂は東京都指定文化財。書院前の鉄門は鹿鳴館ニコライ堂を設計した英国人コンドルによる和洋折衷様式のデザインで国の重要文化財

 

 緑の高台、済美山は雑木林にセミが鳴き、キンランを保護する縄の囲いがいくつもあった。

 

 区立郷土博物館は本館前に長屋門を構えていた。新田を開発した名主・井口家の表門で文化・文政年間の建築と推定される。博物館の庭には寛政年間の建築とみられる農家の住宅も。古民家は広間のいろりに火が入っていた。長屋門と古民家は区指定の文化財になっている。「杉並激動の昭和戦前史展」と題し、2・26事件や近衛文麿らの資料を集めた特別展を30日まで開催している。

 

 大宮八幡宮は「秩父の大宮」(秩父市秩父神社)、「足立の大宮(さいたま市氷川神社)」とともに武蔵野の三大宮の一つ。境内の広さも都内では明治神宮靖国神社に次ぐ3番目となかなかの存在だ。武勇や安産・子育てにご利益があるそうだ。

 

 神門をくぐった両脇にご神木のイチョウがそびえ立ち、女銀杏(いちょう)は実をたくさん付けている。社殿の手前に「笹の輪潜り」の輪が設けられており、3回くぐって疫病退散を祈った。社殿の左奥には幹が何本にも分かれたボダイジュの古木があり、樹齢は350年以上といわれる。

 

 浜田山の地名の由来となった地へ向かった。そこは杉並南郵便局。江戸時代、内藤新宿の商人・浜田屋が所有していた林で一族の墓があったが、明治時代に没落して墓も隣地の永福にある理性寺(りしょうじ)の境内に移った。

 

 というわけで、最後の目的地・理性寺にたどり着く。午後からは晴れ間が広がり、気温も上がって疲労度が高まり、大宮八幡宮を出るころから後れを取るグループに入っていた。大黒殿の扉が数センチ開いていて、日蓮の作とされ、大うちわで火事を消したという逸話のある大黒天像が見えるはずなのに、どれかわからず、浜田屋の墓を探すことも失念した。

 

 この日のツアーは「江戸東京二百名山 道草さんぽ」と題したシリーズの一つ。「東京の二百名山」の意味を聞くのも忘れたなぁと悔やみ、指先に痛みを感じる足をかばいながら西永福駅へと向かうのだった。