「屋敷林は緑のオアシス」 小川武廣さん講演

イメージ 1 「屋敷林の姿と役割」と題する講演会が12月1日、田無公民館であった。講師の「屋敷林の会」会長・小川武廣さんは、農家にとっての必要性は薄れたが、地域の自然文化遺産環境保全の役割に今日的な価値があると強調した。
 失われゆく屋敷林について市民とともに考えようと、「西東京自然を見つめる会」が2回の講演会を企画し、この日は2回目。約40人が参加した。
 小川さんによると、冬から春先にかけての強い季節風など自然の猛威から農家の家屋敷や生活を守るための屋敷林は、仙台平野で「居久根(いぐね)」、砺波平野で「垣入(かいにょ)」、出雲平野で「築地松(ついじまつ)」と呼ばれるが、関東平野にも多い。武蔵野台地の場合、風を遮るものがなく、農地は畑作中心なので土壌はむき出し、細粒の関東ローム(火山灰土壌)が大量に舞い上がる。農家は農地の中に散在、カヤやわらでふいた屋根も風に弱かった。
 そこで農家は屋敷の南東側に冬、日当たりをよくするために落葉高木のケヤキ、コナラ類とアラカシ、マツなどを混ぜて植え、北西には季節風を遮る常緑高木のシラカシ、マツ、スギ、竹などを植えてやぶにした。
 しかし戦後、都市化が進み、家は密集して道路は舗装。また農耕地は減り、農家もまきや落ち葉を腐らせた肥料を使わなくなったことで屋敷林の存在理由は薄れていった。
 西東京市内での今昔では下保谷、北町などに面影を残す19カ所について、聞き取り調査に基づく母屋を取り巻く樹種の配置図や今の樹木の状態を撮った写真が紹介された。屋敷林は戦時は軍需材として、戦後は昭和30年代ごろから伐採され始め、現在は完全な形で残っているのは極めて少ない。残された木も強く剪定(せんてい)され、自然の形からはほど遠い状態という。
 そんな中で「屋敷林らしさが残っているのはここだけと言ってよい」という高橋敬一家=下保谷4=について、「保谷における緑のオアシス。地域の自然文化遺産だ」と今日的な存在の意義を語り、夏と冬の気温の緩和や森林浴による保健、大気中の窒素酸化物の減少などの効果も指摘した。樹木や山野草、野鳥、昆虫などの種類の豊かさも数多くの写真で紹介された。(下の写真は、左から高橋家屋敷林の中と南側=今年11月3日撮影)
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